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水産研究人生捧げ 自宅では家族思いの父親

■大熊町下野上 長田明さん=当時58=

 大熊町にあった県水産種苗研究所は、本県沿岸漁業の主力となる魚の飼育技術の研究拠点だった。当時所長を務めていた長田(おさだ)明さんの妻泉(58)さんは、東日本大震災から2年になるのを前に、2月24日に同町の自宅に一時帰宅した。明さんのスーツ一着を持ち帰った。数少ない遺品の1つだった。泉さんは現在、千葉市の実家で両親と暮らしている。「近くで家族を見守ってくれている」。泉さんは、家族と向き合い、研究に人生を捧(ささ)げた明さんを思い浮かべた。
 研究所は平成23年3月11日、震災の津波にのまれた。明さんを含め研究所員2人、隣接する県栽培漁業協会職員3人が亡くなり、1人は今も行方不明だ。
 明さんは中島村の農家の次男として生まれ、東村(現白河市)で育った。生き物や自然と触れ合うのが大好きで、水産資源に興味があった。白河高を卒業し、浪人生活を経て昭和48年に東京水産大(現東京海洋大)水産学部増殖学科に入学。同じ学科で同級生となった泉さんと出会った。
 53年に県職員となり、いわき市の県水産試験場が最初の配属先だった。ヒラメの背中と腹が真っ白になる「白化個体」という現象の解決に悪戦苦闘し、餌の配合方法の研究に取り組んだ。翌年、千葉市の泉さんと遠距離恋愛の末に結ばれた。長男渓(けい)さん(31)と次男嶺(れい)さん(28)を授かった。
 ヒラメの稚魚の放流が本格的に始まった平成8年、明さんは大熊町に新居を構えた。「研究所の近くに住みたい」という願いからだ。自宅では家族思いの優しい父親だった。仕事が忙しくても子どもたちに笑顔を向け、悩みなどに耳を傾けた。2人が就職し実家を離れても、時間をつくって年1、2回の家族旅行を欠かさなかった。北海道から沖縄まで各地を巡った。
 20年に県水産種苗研究所長に就く。高級魚「ホシガレイ」の大量飼育方法の開発に没頭した。稚魚の成育などを確認するため、休日も仕事場に顔を出した。「年を取ったら研究所の宿直職員で雇ってくれないかな」。職場は東京電力福島第一原発から南へ約1.5キロ。暇があれば研究所外で草むしりに汗を流した。ホシガレイの飼育が軌道に乗り始めた直後に、津波が全てを奪った。
 明さんが行方不明になって1カ月半余りが過ぎたころ、泉さんに県警から連絡があった。「(明さんに)似ている人が研究所近くの雑木林で見つかった」。5月1日、泉さんは相馬市の遺体安置所でひつぎに納められた明さんを確認した。「お帰り」。やっと言えた。
 震災の2年前、家族で千葉県南房総市の野島崎を訪れた。海を背景に記念撮影した。泉さんの悲しみは今も癒えない。ただ、写真を見るたびに、明さんが語り掛けているような気がして励まされる。<みんなで助け合って元気に暮らせよ>。泉さんは11日、休暇を取った嶺さんと静かに明さんの冥福を祈る。
 県水産種苗研究所 大熊町夫沢北台地区に栽培振興施設を設け、昭和58年からヒラメ、アワビなどの稚魚、稚貝の栽培研究を進めてきた。震災前には高級魚「ホシガレイ」の大量飼育に成功したが、震災の大津波で施設が全壊した。県は1月、新地町の相馬共同火力発電新地発電所付近に再整備する方針を示した。

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