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長女、卒業の日に 3世代家族、いつも明るく

■相馬市磯部 宮崎博司さん(46) 朱美さん(44) 朱里さん(15) 雅人君(13) 照子さん(76)

 震災当日は磯部中3年の朱里(しゅり)さんが卒業する日だった。朱里さんは父博司さん、母朱美さん、2つ下で磯部中1年の弟雅人君、祖母照子さんの5人暮らしで、3世代の家庭はいつも明るかった。あの日の大津波が5人の命をのみ込んだ。
 思い出の校舎で式に臨み、卒業証書を受けた朱里さんは朱美さんと、相馬市大坪にいる朱美さんの母金沢幸子さん(73)宅に行き、卒業の報告をして自宅に戻った。その後、朱美さん、朱里さん、雅人君はいったん、外出した。地震発生後、自宅にいた博司さん、照子さんを心配し、迎えに行ったとみられている。5人は自宅から約3キロ離れた市内日下石の田んぼで相次いで見つかった。
 福島市に嫁いだ博司さんの姉藤原美企子さん(53)は思い出す。朱里さんは勉強、スポーツに打ち込んだ。弟の雅人君と共に磯部中のサッカー部に所属した。唯一の女子部員でレギュラーだった。朱里さんは書道とピアノ、雅人君は書道とそろばんを習っていた。
 平成15年に博司さんの父周さんが脳梗塞で倒れた際、朱里さんは「じいちゃんの病気を治したい」と強く感じた。周さんは22年に他界する。朱里さんは医師を目指し、23年4月からは博司さんの母校でもある、相馬高理数科に進む予定だった。
 博司さんは相馬市職員で、市民課、情報政策課などに勤務した。市民課ではコンビニエンスストアで住民票の写しや印鑑登録証明書を交付するシステムの導入に力を注いだ。サービスは22年4月に始まった。美企子さんは、博司さんが東北の市町村で相馬市が最初にシステムを導入したことを誇らしげに話していたのを覚えている。博司さんは相馬市の事例を紹介するため、全国各地で講演した。
 固定資産税係長時代の20年1月に、博司さんが東京国際フォーラムで出席者と記念撮影した写真が残っている。職場では同期会で幹事を務めるなど、まとめ役になり、場を盛り上げた。
 朱美さんは陽気な性格で、世話好きだった。6年6月に博司さんと結婚した。相馬方部衛生組合で調理師として働き、20年近く病院や保育園の給食作りに励んだ。休日は朱里さんや照子さんと一緒に庭の手入れを楽しんだ。自宅には美しいバラが咲き誇った。
 照子さんは朱里さん、雅人君をいつも穏やかに見守っていた。
 震災から2年が過ぎた今年3月、美企子さんは磯部中の卒業式に出席し、雅人君の代わりに卒業証書を受けた。雅人君ら家族5人が眠る、同校近くの墓の前で「おばちゃんが代わりにもらってきたよ」と報告した。卒業証書は、幸子さん宅にある5人の位牌(いはい)のそばに添えられている。

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