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信念曲げない頑固者 「けんかするほど仲良し」

■南相馬市小高区井田川 佐々木真太郎さん(83) マサ子さん(78)

 南相馬市小高区井田川の佐々木真太郎さん=当時(83)=と妻のマサ子さん=当時(78)=は震災の津波で亡くなった。一緒に暮らしていた孫の嘉一(よしかず)さん(29)は「祖父母は自分で言ったことは曲げない頑固者だった」と語る。
 真太郎さんは兼業農家で建設会社に勤めていた。マサ子さんと知り合い、結婚した。年越しそばを食べるかどうかで口げんかすることもあったが、嘉一さんから見れば「けんかするほど仲の良い夫婦」だった。
 真太郎さんは田畑に行く時、耕運機を運転した。小さかった嘉一さんを後ろの荷台に乗せて喜ばせた。
 マサ子さんはしつけが厳しかったが、嘉一さんが仕事から帰り、ビールを飲んでいると「付き合おうか」と言って、特製の白菜の漬物を持ってきてくれた。嘉一さんはマサ子さんがつまみに出す漬物と、朝食に作ってくれた目玉焼きの味が忘れられない。
 3月11日の朝、真太郎さんは「たばこを買ってきてくれ」と嘉一さんに1000円札を渡し、マサ子さんはいつものように「いってらっしゃい」と嘉一さんの出勤を見送った。
 午後に大きな地震が起き、原町区の会社にいた嘉一さんはすぐに自宅に電話をかけた。マサ子さんの声が聞こえた。「隣りの納屋がつぶれてる。じいちゃんが外でがれきを片付けている」
 嘉一さんは心配になり車で小高区の自宅へ向かった。「浜街道」と呼ばれた海辺の県道を急いで南下した。小高区との境に当たる原町区小沢地区に差し掛かると、高さ10メートルほどの大きな波が目の前に迫った。ごう音だったはずだが、さざ波のような音がした。「嘉一は生きろ」。祖父母の声が聞こえた気がした。急いでハンドルを回し、農道を山側に向かい、難を逃れた。マサ子さんは4月24日、真太郎さんは6月9日に小高区内で見つかった。
 嘉一さんは現在、原町区のアパートで生活している。3人で暮らしていた日々を思い出し、つらくなる時がある。「この命はじいちゃんとばあちゃんに助けられたんだ。いつか2人のような家庭を持ちたい」と自分に言い聞かせている。

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