東日本大震災

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最後まで避難促す 憧れの警官、職務を全う

■富岡町小浜 佐藤雄太さん(24)

 <ぼくはおおきくなったらおまわりさんになりたいです>
 平成23年3月11日の東日本大震災で、双葉署のパトカーで住民の避難誘導中に津波に襲われた佐藤雄太さん=当時(24)、二階級特進で警部補=は6歳の誕生日に志を立てた。夢が書き込まれた絵本は今も福島市の実家に大切に保管されている。県警の警察官は震災で4人が職務中に命を落とした。11日で震災から4年がたつ。雄太さんの行方はまだ分からない。

 雄太さんは昭和61年8月2日、父安博さん(56)と母浩子さん(54)との間に生まれた。幼いころの夢をかなえるため、福島三中に入ると迷わず剣道を始めた。性格は負けず嫌い。初めて出場した大会で負けたのが悔しくて、伊達市の恵迪館の門をたたいた。毎年のように全国大会に選手を送り出す名門の道場だった。夜は警察官が指導に訪れた。警察がさらに身近になった。
 福島西高に進むと、顧問の紅屋聡さん(50)=現会津高教諭=の指導を仰いだ。紅屋さんは平成7年に本県で開催されたふくしま国体の強化選手だった。「雄太はいつも自分のことは後回しなんだ。初めに部員の面倒を見るから」。紅屋さんの言葉に、安博さんは息子の気質を感じた。
 雄太さんは17年4月、県警巡査を拝命した。初任地は相馬署だった。面倒見の良さで、すぐに住民から慕われるようになった。地域のお年寄りの相談に親身に応じ、夜は剣道三段の腕前を生かし、子どもたちの前で竹刀を振った。
 特別機動パトロール隊に籍を移す。JR福島駅西口周辺の巡回で、夜間に出歩く高校生らを厳しくも優しく諭し続けた。20年の北海道洞爺湖サミットの警備で北海道に赴いた際、夕張市の農家と触れ合う。それ以来、毎年、トウモロコシやジャガイモが送られてくるようになった。
 21年に双葉署に赴任し、富岡町小浜の警察アパートに入った。地域交通課の自動車警ら係として管内の安全に目を光らせた。
 つらい時期もあった。職場での悩みを打ち明けられた浩子さんは「警察官だけが仕事じゃないよ」と声を掛けた。それでも雄太さんは辞めるとは言わなかった。
 あの日。雄太さんは富岡町の子安橋近くで必死に住民に避難を促していた。橋は地震で壊れていた。付近で車が数珠つなぎになっている。運転手らに叫び続けた。「車を降りて走れ」。住民は山側に向かった。波が押し寄せる。振り向くと雄太さんの姿は見えなかった。

 雄太さんの上司の増子洋一さん=当時(41)、二階級特進で警視=も波にさらわれた。一緒に乗っていたパトカーは富岡町の双葉署の北側にある岡内東児童公園に保存される。16日から展示され、職務を全うした2人をしのび、功績を長く伝える。安博さんは「震災の面影を残すことは賛否両論あるが、風化を防ぐ意味でありがたい」と思いを巡らせる。
 県警は毎月11日、沿岸部で行方不明者を捜し続けている。雄太さんの特別機動パトロール隊時代の同僚だった吉田哲生さん(38)=会津坂下署警部補=と伊藤祐樹さん(29)=県警総合運用指令課巡査部長=は「両親の元に返してあげたい」と志願して捜索に当たっている。雄太さんの実家を訪ね、安博さんと浩子さんに雄太さんとの職場での思い出を伝えている。
 県警が調べた震災による県内の行方不明者は202人(10日現在)に上る。浩子さんは「早く帰ってきてほしい」と願うが、同時に一つの思いが胸に込み上がる。安博さんも同じ気持ちだ。「雄太が見つかるのは一番最後かな。きっと海でみんな(行方不明者)を守っているんだ」

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