震災と原発事故から十年。放射線への不安や長期避難による持病の悪化など県民の心身に多大な影響を及ぼした未曽有の大災害を受け、福島医大は県民健康調査をはじめ被災地の医療再生、医薬品開発支援など、県民の健康を守るため力を注いできた。本県医療の「最後の砦(とりで)」として本県復興にどのような役割を果たし、何を残してきたのか、検証する。
県民健康調査の「こころの健康度・生活習慣に関する調査」で、うつ病などの可能性があるために支援が必要とされる人の割合は二〇一九年が5・7%で、震災以降、全国平均の3・0%を上回ったまま高止まりしている。県内避難者に比べ、県外にいる避難者が高く、引き続き、被災者に寄り添った対応が必要となっている。
福島市の福島医大放射線医学県民健康管理センターの一室では、保健師や看護師、臨床心理士らが電話相談に応じている。相手は東京電力福島第一原発事故で避難区域が設定されていた地域に住んでいた県民だ。
県内外で避難を続ける人も多く、受話器の向こう側からさまざまな訴えが届く。職員は穏やかな口調で相づちを打ちつつ、相手がどんな悩みを抱えているか細心の注意を払って確かめる。
電話相談は、特定避難勧奨地点が指定された伊達市を含む避難区域十三市町村の約二十万人を対象に二〇一二(平成二十四)年に始まった。避難住民らはそれぞれ多かれ少なかれ不安や悩みを抱えている。限られたスタッフで全ての声に耳を傾けるのは困難だった。「こころの健康度・生活習慣に関する調査」の回答を基に、優先順位に応じて対象者を絞るしかなかった。それでも年間の通話対象は延べ約三千人にも及ぶ。一般的な電話相談と異なり、支援が必要な人を選んだ上で直接、電話をかけるのが最大の特徴だ。
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支援する側から電話をかける取り組みは、広域避難に加え、原発事故特有の対応の難しさから生まれた。
二〇一二年三月まで福島医大神経精神医学講座教授を務めた丹羽真一(74)=福島医大会津医療センター精神医学講座特任教授=は、原発事故発生直後から、被災者への心のケアをどう施すべきか頭を悩ませていた。
目に見えない放射線への不安によって自分の健康状態を必要以上に心配する患者は、精神科だけではなく、通い慣れた内科や耳鼻科など幅広い診療科を受診していた。「精神科だけでは対応しきれない。幅広く話を聞かなければならない」。患者を待つのではなく、支援する側から積極的に声を掛ける必要性を痛感した。
二十万人を対象にした大規模な支援は前例がない。当時、久留米大医学部神経精神医学講座に籍を置き、日本トラウマティック・ストレス学会長として丹羽から協力を求められた前田正治(61)=福島医大災害こころの医学講座主任教授=は耳を疑った。「本当にやるんですか」。原発事故に真正面から向き合う福島医大の覚悟を前田が感じた瞬間だった。
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国内の災害による心のケアをみると、一九九五(平成七)年の阪神大震災で五年、二〇〇四年の新潟県中越地震は十年で終了した。発生から十一年目になる東日本大震災、原発事故の支援は未知の領域に入る。
「避難先での孤立などを早期発見するためにも電話支援は欠かせない。今後は中長期的に支えるための相談を受ける側の人材育成も重要になる」。前田は県や国が一体となった支援の在り方を訴える。(文中敬称略)
※県民健康調査
東京電力福島第一原発事故の健康影響を科学的根拠に基づき、解明しようと県が福島医大に委託して2011(平成23)年度に始まった。全県民の事故後4カ月間の行動記録から外部被ばく線量を推計する「基本調査」のほか、「こころの健康度・生活習慣に関する調査」「妊産婦調査」「甲状腺検査」「健康診査」の4項目の詳細調査から成る。