「つらくても、前を向いて自分の足で立たなくちゃいけない」。東京電力福島第一原発事故により大熊町野馬形行政区から会津若松市に避難している自営業庄子ヤウ子さん(73)は、一体のテディベアに語り掛けた。名前は「あいくー」。会津地方から古里の大熊町まで続く空を思い、名付けた。
町のマスコットキャラクター「おおちゃん・くうちゃん」をモデルに型紙を作り、会津木綿で縫い上げた。真ん丸な顔と耳に、つぶらな瞳。色鮮やかなスカーフやはかまをまとう。支えがなくても二本足ですっくと立つのが特徴だ。
庄子さんは1991(平成3)年から大熊町で衣料品店「ニットアトリエ庄子」を営んでいた。ニット製品を手掛ける傍ら、町役場生涯学習課に社会教育指導員として勤務し、地域の主婦を対象に裁縫や料理などを指導していた。
10年前に原発事故で避難を余儀なくされ、慣れない会津若松市での生活が始まった。仕事もなく、淡々と時間が過ぎていく。生きるとは何か-。自問する日々が続いた。夢中になれることをしようと思い立ち、2012年2月に町内の仲間と会津若松市に工房を開設した。
工房開設と同時に、長女ら4人と手芸グループ「會空(あいくー)」を立ち上げた。テディベア「あいくー」を展覧会などに出品するうちにファンが増え、大手化粧品会社や航空会社とコラボレーションした製品も誕生した。「自分たちの活動を認めてもらえた」。あいくーを通じ、避難先に新たな居場所ができた。
◇ ◇
大熊町の自宅は、原発事故による除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設用地に含まれた。除染廃棄物は中間貯蔵施設への搬入から30年以内の県外最終処分が法で定められている。2015年3月13日の搬入開始からカウントダウンが始まったが、どこで、どのように最終処分するのか、国の議論は深まらない。
「30年以内の最終処分が現実的とは思えない。搬入開始から6年が過ぎた今も、何も決められないのだから」。国の対応に不信感が募る。
「時間をかけて更地に戻したとしても、そこは私たちが暮らしていた古里とは違う。あの風景は2度と取り戻せない」。悔しさとやるせなさで胸が押しつぶされそうになる。そんな時も、あいくーを見つめ、何とか前を向こうと気持ちを奮い立たせる。
◇ ◇
あいくーの仲間には淡いピンク色をした「桜しまくま」がいる。庄子さんらが会津木綿を取り寄せている会津若松市の業者に特注した生地「桜しま」を使っている。
ピンク色は大熊町の坂下ダムに咲き誇る桜をイメージした。原発事故で古里を奪われた悲しみは、癒えることはない。「私たちは大熊に戻らない。でも、忘れたくはないし、多くの人に忘れないでもらいたい」。大熊の空に思いをはせ、今日も針を手に取る。(第7部「諦め」は終わります)