2メートル四方の布いっぱいに、大きな羽を広げたチョウが踏ん張っている。戦陣で掲げる纏(まとい)にデザインされた池田家の家紋「泊蝶紋」である。
岡山池田家は、戦国時代には織田家に仕えた。信長を養育したのは池田家の女性で、戦国武将の池田恒興は信長と兄弟のように育った。その子の輝政は豊臣秀吉に仕え、ひ孫に当たる光政は岡山藩の藩祖と仰がれた。「泊蝶紋」は光政の頃まで使われた池田家草創期のシンボルである。
2メートル四方の布いっぱいに、大きな羽を広げたチョウが踏ん張っている。戦陣で掲げる纏(まとい)にデザインされた池田家の家紋「泊蝶紋」である。
岡山池田家は、戦国時代には織田家に仕えた。信長を養育したのは池田家の女性で、戦国武将の池田恒興は信長と兄弟のように育った。その子の輝政は豊臣秀吉に仕え、ひ孫に当たる光政は岡山藩の藩祖と仰がれた。「泊蝶紋」は光政の頃まで使われた池田家草創期のシンボルである。