X メニュー
福島のニュース
国内外のニュース
スポーツ
特集連載
あぶくま抄・論説
気象・防災
エンタメ

【名君の大名文化】文武両道の会津、岡山藩の名君 深い教養が育んだ文化

2022.10.14 13:32
「池田光政画像」(池田継政筆、林原美術館蔵)
「養徳院宛豊臣秀吉書状」(秀吉自筆、林原美術館蔵)

秀吉自筆の書状や能装束

 西国を代表する大名家、岡山藩池田家。初代藩主池田光政は会津藩祖保科正之と同時代を生き、共に名君と仰がれた。2人が礎を築いた藩政のもと、両藩は幕末まで存続した。会津若松市の県立博物館で開催中の企画展「名君の大名文化|岡山池田家と会津 武、その華と志」は、戦国の乱世から泰平の世に至る歴史を、林原美術館(岡山市)の所蔵する岡山池田家の武将・大名に関する資料と、県立博物館所蔵の蒲生氏郷・保科正之に関する資料から紹介する。

 光政の曽祖父、池田恒興は織田信長、豊臣秀吉に仕えた。恒興の母、養徳院は信長の乳母を務めた人物で、戦国武将たちから一目おかれる存在であったと考えられる。小牧・長久手の戦いで恒興が戦死した際、秀吉は養徳院に宛てて、今後も池田家を取り立ててゆく旨を綴った書状を自筆でしたためており、その書状は本展出品の注目資料の一つとなっている。

 同じ頃、近江国出身の蒲生氏郷も信長や秀吉に仕えて頭角を現し、秀吉の天下統一事業の一つ、奥羽仕置によって会津を治めることとなった。氏郷は城下を整備し、今に続く会津藩発展の基礎を敷いたとされる。

 江戸時代、岡山藩の初代藩主となった池田光政、会津松平家の祖・保科正之は深く教養を身に着けた人物であったことが諸資料から伺われ、両藩では文武にわたる大名文化が花開いていった。本展では、林原美術館が所蔵する池田家伝来の大名調度品を中心に大名文化の粋を伝える名品を紹介しているが、とりわけ能装束は日本有数のコレクションとして知られる。岡山藩2代藩主綱政は特に能を好んだとされ、綱政愛用の能面も展示室で存在感を放っている。会津藩でも2代藩主正経の代に若松城三の丸に能舞台を完成させているが、残念ながら戊辰戦争を経て現在に伝わるものは多くない。かつて能舞台のあった三の丸跡に立つ県立博物館で、大名たちが育んだ華やかな文化に思いをはせていただきたい。

 岡山、会津両地の名君たちと、彼らのもとで築かれた歴史や文化を紹介する本展。大名文化の文武を伝える林原美術館の名品の数々を、武家文化の地、会津で一堂に拝することのできるまたとない機会となっている。(県立博物館主任学芸員・塚本麻衣子)