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【名君の大名文化】城下発展に商工の伝統 流通要所・岡山城街道起点・若松城

2022.10.21 13:40
「蒲生氏郷画像」(重要文化財 西光寺蔵、県立博物館寄託)=11月6日まで展示
交通や物流の拠点として繁栄した岡山城
蒲生氏郷が近世城郭化を進めた若松城

共通点と相違点探る

 県立博物館で開催中の企画展「名君の大名文化-岡山池田家と会津 武、その華と志」でご協力をいただいている林原美術館(岡山市)は、岡山城の二の丸跡に建っている。

 岡山城は、中世城郭である石山城を前身として、戦国大名の宇喜多直家、その子息の秀家の時代に近世城郭として改修された。関ケ原合戦後には小早川秀秋、その後は池田輝政・利隆の子息が城主となって城郭の改修を続けた。岡山の城と城下町は、西日本の幹線道路である山陽道に面しており、交通や物流の拠点として繁栄した。福島県でいえば、奥州街道沿いの白河城(小峰城)や二本松城、福島城が似たような立地といえるかもしれない。岡山の城下町発展の背景には、今回の展示でもひと際目をひく備前刀や備前焼の生産技術の高さ、流通網の展開など、備前国内の商工業の伝統があったと考えられる。

 岡山城へ思いを巡らせたところで、改めて若松城(鶴ケ城)を見直してみよう。若松の立地については幹線道路から外れるものの、峠を越えて各地とつながる五つの街道の起点・分岐点という別の意味での重要性があることに気づく。城郭の変遷では、中世の黒川城を前身として、蒲生氏郷が近世城郭化を進め、加藤明成の時代に大改修が行われている。岡山城との共通点が多いのは、築城・改修に西国出身の大名が深く関与したこともあるだろう。

 一方で若松城には、豊臣政権・徳川政権による奥羽支配の要、北の抑えという位置づけが一貫して与えられていた。政治的な意味合いの違いは忘れてはならないだろう。

 岡山城の天守閣は空襲のため焼失してしまったが、1966(昭和41)年に再建され、今年11月にリニューアルオープンする予定である。明治維新後に取り壊された若松城の天守閣も、ほぼ同じ時期(1965年)に再建され、現在リニューアルが進められている。似ているところや違うところ、さまざまな視点から二つの城を比べて、それぞれの城の個性や魅力を探ってみる講座を開催する。ぜひ参加いただきたい。(県立博物館副館長心得兼学芸課長・高橋充)