自民党衆院議員でともに復興相を務めた根本匠氏(73)=福島県旧2区、当選9回=と吉野正芳氏(76)=福島県旧5区、当選8回=は9日の衆院解散に伴い国会議員を引退した。根本氏は対面で、吉野氏は書面でそれぞれ福島民報社などのインタビューに答え、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からの復興をはじめ、古里や日本の発展に尽くした政治家人生を振り返った。
■根本匠氏 復興の第一人者と自負
―約30年にわたる政治家人生の原点は。
「建設省(現国土交通省)に入ったのはまちづくりに携わりたいとの思いからだ。最初に衆院選への立候補を打診された際は断ったが、政治家になれば農業や社会保障、金融、経済などさまざまな分野で国を引っ張れると思った。政策本位の政治をしようと、当選1回の時から安倍晋三さん(故人)、石原伸晃さん、塩崎恭久さん、岸田文雄さんらと共にテーマごとに議論を重ね、政策を磨いた」
―政権交代直後の第2次安倍内閣で復興相を務めた他、党東日本大震災復興加速化本部長として本県復興をけん引した。
「復興の第一人者だと自負している。復興相として司令塔機能を発揮し、新たな復興加速策をつくり上げた。市町村長から直接要望を聞き、トップダウンで省庁を動かし、復興を前に進めた。加速化本部長としては2026(令和8)年度以降の次期復興・創生期間の財源に確かな道筋を付けた。山の恵みを取り戻すなど、今後の復興政策は第13次提言に盛り込んだ」
―若手議員の育成にも力を注いだ。
「国会議員になっても指導者がいなければ、宇宙遊泳するようなものだ。自らテーマを持って主体的に活動しない限り政治家は伸びない。問題を解決する力を持たなければならない。党中小企業・小規模事業者政策調査会長を務めていた時には、派閥横断で1年生議員を集めた勉強会を開き、後進の育成に当たった」
―今後の活動は。
「政界を引退するわけではない。引き続き、選挙区だった市町村の首長から相談を受け、これまで培った経験と知識を生かし、地域の課題を解決したい。各省庁の官僚と議論し、これからも国を動かす。5年ぐらいは影響力があるだろう」
■吉野正芳氏 現場主義徹底的に貫く
―8期24年にわたって本県のために汗を流し続けた。振り返っての思いを。
「初当選以来、全身全霊を傾けて郷土の発展や国政の進展のために努めてきた。コスタリカ方式や選挙区変更など、ある意味特異な国会議員生活を送り、得難い経験ができた。議員バッジを着け続けているからこそ地元の役に立てるとの思いで、その判断は間違っていなかったと思っている。私の処遇を真剣に考えてくれた党本部役員の方々に感謝している」
―復興相在任中に、復興庁設置期間の10年延長など中長期的政策に道筋を付けた。
「被災地出身の大臣として現場主義を徹底的に貫いた。被災地を自分の目で確かめ、被災者の声をじかに聞き、顔をじかに拝見し、今必要とされている施策は何か、従来の施策は効果を発揮しているかを現場で肌で感じるよう努めた。特に在任中に心のケアを重視すべき方針が明確化され、国内全域に避難していた被災者と懇談を重ねた」
―議員生活の中で印象深いエピソードは。
「復興相就任当時の復興庁は、宮内庁と人事院を除く全ての省庁出身の職員で支えられていた。職員とコミュニケーションを取りながら被災地の現状や思いを少しでも理解してもらいたいとの思いで、250人を超える職員全員と大臣室で毎日8人ずつ交代でカレーライスを食べたことが印象に残っている」
―福島の復興は道半ばだが、本県の国会議員にどのような思いを託したいか。
「震災と原発事故の被害や被災者への思いなどの風化と風評被害を食い止めなければならない。風化が一番進んでいるのは霞が関だ。被災地出身であることを常に意識し、地元の皆さんの共感を得られる施策を推進してほしい」