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想像の日本人(8月3日)

2025.08.03 09:29

 18世紀以降に欧州各地で勃[ぼっ]興[こう]した「国民国家」の〝概念〟の形成について論じたベネディクト・アンダーソンの名著『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』は、1980年代の論壇や世間に少なからぬ衝撃を与えた。

 最近ナショナリズムや国民についての言説がやたら喧[かまびす]しい。その影響からか、「歴史的結果」ともいわれる今般の選挙の最大の争点だったはずの経済対策や減税の是非がかすんでしまい、2週間たっても政治の対応は鈍い。

 今回急速に争点化した外国人および移民をめぐる政策は、いわゆる欧米での〝行き過ぎた多様性〟に対する反動の連鎖という面もあるだろうが、近年日本でも問題化してきていたことは事実だ。

 元々日本では、移民と言えば出移民だったし、一昔前まで海外旅行はアウトバウンドだった。そうしたガラパゴス状態に慣れ切った日本において、急激なインバウンド客や外国人労働者の増加に対し、法律を含めた適切なルールや体制づくりは必要であろう。

 思えば福島県も震災前の一時期、隣国から大勢のゴルフ客が押し寄せ、外貨で活況を呈していた一方で、マナーなどの問題で日本人の客離れが起きた。オーバーツーリズムの先駆けでもあった。

 しかし、外国人排斥と外国人政策批判は似て非なる。端的には〝刃〟を向ける相手が違う。

 確かに(常とう手段だが)経済問題を人種問題にすり替え、「閉じた経済圏」を確立できれば、トランプ関税に振り回されることもない、かもしれない、が。

 普段外国人留学生と接し、震災以降彼らと被災地からの情報発信事業を続けている経験からは、何人も意欲的で能力もあり信頼できる留学生に出会ってきた。無論すべてがそうではないが、その点では日本人学生も留学生も変わりはない。文化や習慣の違いはあれど、少なくとも彼らは「労働力」ではなく「人間」だった。

 確かにインバウンド客などついぞ見かけない地方都市の限られた立場の外国人に対する私見だが、そうであればなお、問題は観光客であれ労働者であれ、外国人の〝不均衡〟〝偏重〟であり、それを制御するのは政治の役割である。

 アンダーソンは欧米をモデルに「国民国家」を分析したのであって、島国の日本は状況が違うという批判もある。ただ「日々顔を突き合わせる原初的な村落より大きいすべての共同体は想像されたものである」という指摘は、恣[し]意[い]的な分類による軋[あつ]轢[れき]や差別が創造される現代においてなお重要だ。

 折しも映画『国宝』が異例の大ヒット上映を続けている。自分には全く縁遠い〝コンプライアンス・フリー〟な日本文化とノスタルジーに 〝日本人〟として共感する一方で、海外での称賛や共感の報に接すると、そもそも日本人とは何か、〝日本人〟は〝日本国民〟なのか、とも思う今日この頃である。(福迫昌之 東日本国際大学副学長)