日本の降伏で太平洋戦争が終わったのが1945年8月15日。この戦後80年間、戦争をしなかったのは国連加盟193カ国のうち日本を含む8カ国のみだ。戦後の日本は、戦争を知る人たちが「二度と戦争をしてはならない」という強い思いを持ち、この間、1人の戦死者も出していないことは誇らしい。しかし、近い将来、今の時代が「戦前」と呼ばれることのないよう、太平洋戦争について学び、語り続けていくことが必要だ。
桜の聖母学院の設置母体であるコングレガシオン・ド・ノートルダム修道院には、「秘められた抑留所」であった歴史が刻まれている。1942年(昭和17年)インド洋上でドイツ海軍によって拿[だ]捕[ほ]された乗員・乗客の140名が、敵国外国人として修道院に収容され、終戦によって解放されるまでの3年2カ月の間、抑留されていた。1932年にカナダから来日され、修道院を建て、1938年には、桜の聖母学院のルーツである幼稚園を開設されたシスターたちも、敵国人として県内の他の修道院に幽閉された。その詳細は『証言―第二次世界大戦実話 福島にあった秘められた抑留所』(紺野滋著、歴史春秋社)に記されている。
2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受け、深い歴史を刻んだ美しい修道院は取り壊された。しかし、その歴史を語り継ぐために、修道院のさまざまな資料が、桜の聖母短期大学内のコングレガシオン・ド・ノートルダム記念室に展示されている。フランスからカナダに渡った修道会の歴史、そして、カナダから福島市に来られ、こどもたちのために次々と開設された学校の歴史が分かる。震災で失った美しい修道院のレプリカもあり、カトリックの貴重な聖具等々も並べられている。興味深い、抑留関連の資料と遺品もコーナーとして展示されている。
この記念室には、桜の聖母学院の児童、生徒、学生が行事や授業の一環として見学に訪れる。その際には、修道服をお召しになったシスターが丁寧に説明してくださる。また、卒業生や地域の方々にも開放されていて、来訪者が絶えない。事前に修道院に予約すれば、シスターの説明を受けられる。芳名帳があり、そこには、多様な言語で氏名や現在の居住地と共に、訪問された思いが綴[つづ]られている。抑留されていた方々のご家族や関係者の記載もあり感慨深い。
今、こうしている時にも爆撃により命を失い、飢餓にあえぐ多くの人々がいる。現代の戦争では、大規模な空爆や化学兵器・ミサイルによる攻撃など、無差別の殺[さつ]戮[りく]が起きている。軍備増強につながる戦争抑止論は、軍備に必要な経済力を持つ国が有利となり、弱肉強食となる。どんな悲劇があったのかを具体的に知ることが、「二度と戦争をしてはならない」という強い意志になる。今、この時を「戦前」にしないために、この地で起きた戦争の悲劇を伝え続けたい。
(西内みなみ 学校法人コングレガシオン・ド・ノートルダム理事長)