会津若松市の障害者就労継続支援事業所MARCで、9月11日に小さな講演会が開かれた。昨年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の和歌考証に携わった高野晴代日本女子大学名誉教授を迎えて、ドラマに出てきた和歌の描写を通して、「和歌の力」を語るという内容の講演であった。集まったのは、同窓生を中心に地域の人たちである。
『光る君へ』は、平安時代中期の貴族社会を舞台に、まひろ(紫式部)の生涯を描いたものである。講演では興味深い話が続いたが、第6話の最後に登場した、藤原道長がまひろに贈った和歌を高野氏が創作するために、引[ひき]歌[うた]の表現技法を用いた点とその理由は特に面白かった。
また、和歌を描写するために、画面での見せ方や音声での伝え方に工夫がされたことなど、他では聞けない話があって、参加者からは、「平安時代にタイムスリップした気分」「非日常を過ごせた」などの感想があった。
今回の講演会の運営をしたのは、日本女子大学の同窓会・桜楓会会津支部の会員である。高野氏を迎えての講演会を5年前にも企画していたが、コロナ禍で中止になった経緯がある。
前回は、2015年NHK連続テレビ小説『あさが来た』で、ヒロインのモデルになった実業家広岡浅子の話がテーマだった。日本女子大学の前身である日本女子大学校の1901年の創立に多大な貢献をした女性である。
日本女子大学校の創立者である成瀬仁蔵のことは、在学時より学んでいたが、浅子については番組後に本や資料を読んだ。
京都出水の三井家に生まれ、大阪の豪商加島家に嫁いだ浅子は、明治維新で窮地に陥った婚家を立て直すため、事業を起こし、銀行事業や炭鉱開発に進出している。
アメリカ留学で女子の高等教育の必要を痛感した成瀬が、帰国後出版した『女子教育』を読んだ浅子。「たとへ女子であっても、努力さへすれば男子に劣らぬ仕事ができるものである」と考えていた彼女は、成瀬に共鳴し、創設に向けて共に動き出す。
彼女自身は、13歳になる頃、両親から読書を禁じられた経験があり、簿記や算術を独習したのは、嫁いでからのことだった。
『女子教育』の中で、成瀬が掲げたのは、「女子を『人として、婦人として、国民として』教育すること」で、今に至る建学の精神になっている。
講演会終了後、40~90歳代の会員は、桜楓会の現理事長でもある高野氏を囲んで、『光る君へ』から広岡浅子へ、さらには現在の大学の状況まで語り合った。最年長の会員からは、市川房枝と会い男女共同参画を推進してきた話を聞くこともできた。
成瀬の建学の精神や浅子の思いが、ずっと受け継がれていってほしいと思う夜になった。
広岡浅子『草詠』(高野晴代監修)から。〈美しく人の心を導[みちび]きて進むは文[ふみ]の力なりけり〉
(前田智子 児童文学者、会津若松市在住)