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町民の無念語り継ぐ 国対応の遅れ分断招く【復興を問う 帰還困難の地】(29)

2020.09.25 07:25
郡山女子大短期大学部の学生を前に、紙芝居を披露する石井さん

 「何でだ。何でオラたち死ななければならねんだ」

 緊迫感のある語り口に、学生たちが息をのむ。東京電力福島第一原発事故に伴い浪江町津島地区赤宇木(あこうぎ)から福島市に避難している石井絹江さん(68)は「浪江まち物語つたえ隊」のメンバーとして、町の出来事をまとめた紙芝居を各地で披露している。

 八月上旬には郡山市の郡山女子大短期大学部で学生約七十人を前に、原発事故に伴い牛を殺処分された酪農家の悲しみや怒りを牛の目線で伝える「浪江ちち牛物語」や、原発事故で津波の被災者を救えなかった悔しさを表す浪江町消防団物語「無念」を披露した。

 「つらい過去だけど、起きたことをなかったことにはしたくない」。固い決意がにじむ。

    ◇  ◇ 

 東日本大震災と原発事故が起きた二〇一一(平成二十三)年三月、石井さんは浪江町職員として国民健康保険津島診療所で働いていた。震災前、診療所を訪れる患者は一日当たり四十人程度だった。震災後は被災者であふれた。百人、二百人、五百人と日を追うごとに増えていった。被災状況を伝える新聞やテレビに目を向ける間もなかった。

 町は役場機能を二本松市に移した。前例のない業務が続き、職員の疲労は限界に達していた。「もう俺は道路のカーブを曲がらずにまっすぐ突っ込みたいんだよ」。死すら望むかのような部下の言葉を思い出すと、今も涙があふれる。

 避難先で「放射能が来た」と心ない言葉を浴びたという町民が役場を頼って来た。町民の心のよりどころをつくるため、町は二本松市に仮設の診療所を設けた。県内外から多くの町民が通った。

 「震災と原発事故の教訓と町民の苦しみを語り継がなければならない」。当時の記憶が少ない若者や、後世の人たちに自分たちの経験を伝えたいと、定年退職後、浪江まち物語つたえ隊のメンバーに加わった。

    ◇  ◇ 

 石井さんは現在、町の民生委員を務め、福島市に避難している町民を訪ねている。つらい思いを引きずり続けている町民がいる一方、「もう忘れたい」と浪江町出身であることを周囲に明かさない人もいる。地震に津波、原発事故による避難…。「あの時の恐怖は経験した人しか分からない。変わり果てた町の現実を受け入れたくないんだろうね」。石井さんは突然古里を奪われた住民らのショックの大きさを推し量る。

 全町避難していた浪江町は二〇一七年三月に避難指示解除準備、居住制限の両区域の避難指示が解除された。原発事故から九年半を過ぎ、帰還困難区域の特定復興再生拠点区域(復興拠点)では除染や建物解体が進む。一方、石井さんの自宅がある津島地区赤宇木は復興拠点外の白地(しろじ)地区で、今も避難指示解除の見通しが示されない。同じ町でも集落ごとに異なる対応が続く。国の対応の遅さに不満が募る。

 「浪江の人々は苦しみを強いられ、国により分断された。どうしたら再興できるのか、国は町民と話し合い、道筋をはっきりと示すべき」。帰還はかなわずとも、古里復興への思いは消えない。