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旧津島村丸ごと区域に 拠点外の扱い最大の課題【復興を問う 帰還困難の地】(32)

2020.09.28 08:03
浪江町役場の町長室で地図上の津島地区を指さす吉田町長

 双葉郡の最北部に位置する浪江町の面積は二万二千三百十四ヘクタール。郡内八町村で最も広い。その約八割に当たる一万八千百三十九ヘクタールが東京電力福島第一原発事故により帰還困難区域となった。全市町村における帰還困難区域の総面積の五割余りに及ぶ。

 町役場の町長室に、大判の地図が貼られている。空間放射線量が調査地点ごとに書き込まれている。帰還困難区域の特定復興再生拠点区域(復興拠点)から外れた、いわゆる「白地(しろじ)地区」は線量が高い。吉田数博町長(74)は地図に目をやりながら、「拠点外の扱いは、町復興に向けた最大の課題となっている」と語気を強める。

 拠点外にも、原発事故前は人々の生活の営みがあった。町役場に、いずれは避難先から帰りたいとの住民の声が届く。前の状態に戻してほしいとの切なる思いは当然だと考える。「国は原発事故で汚された町土全域を除染し、避難指示を解除すべきだ」

 二〇一七(平成二十九)年三月末、町内は帰還困難区域を除く地域の避難指示が解除された。二〇二〇年八月末現在、住民登録者数一万六千八百四十三人のうち、町内に居住しているのは千四百六十七人。復興の象徴である道の駅なみえは供用を開始したものの、古里再生への道のりは緒に就いたばかり。吉田町長は「帰還困難区域全域の復興なくして、町が再生を果たせるはずはない」と指摘する。

 二〇一七年十二月、町内の帰還困難区域のうち、国は室原地区の約三百四十九ヘクタール、末森地区の約百五十九ヘクタール、津島地区の約百五十三ヘクタールを復興拠点に認定した。地域ごとに家屋解体を含む除染が進む。生活基盤を整え、公営住宅や農業拠点などが整備される。このほか、大堀地区にある国指定の伝統的工芸品「大堀相馬焼」の窯元の拠点施設「陶芸の杜おおぼり」とその周辺も復興拠点になった。

 町は拠点について、二〇二三(令和五)年三月の避難指示解除を目指し、解除から五年後の拠点内の人口目標を千五百人としている。ただ、拠点の面積は約六百六十一ヘクタールで、帰還困難区域の一割にも満たない。

 拠点外の約一万七千四百七十八ヘクタールは手つかずの状態が続く。原発事故の発生から十年目となった今も、国は除染の方針や帰還時期を示していない。その大部分は、町北西部の津島地区だ。

 原発事故の発生直後、町議会議長の職にあった吉田町長は津島地区に避難した。完成から間もなかった津島保育所の施設には床暖房が完備されていて、町中心部から多くの避難者が詰めかけていた。

 だが、周辺は放射線量が高かったことが後に判明した。国による放射性物質の拡散予測結果は、町に伝わっていなかった。吉田町長には、町民が「無用の被ばく」にさらされたとの悔しさがつきまとう。

 一八八九(明治二十二)年の町村制施行により誕生した浪江村は一九五六(昭和三十一)年五月、旧津島村などと合併し、浪江町となった。吉田町長は地図上の津島地区を指し、苦悩の表情を浮かべた。「合併前の津島村は、隣接する葛尾村と同規模の自治体だった。村が丸ごと帰還困難区域になったようなものだ」