元葛尾村職員の半沢富二雄さん(67)は十月中旬、葛尾村野行(のゆき)行政区の自宅跡地を訪れた。自宅は解体され、周囲にも更地が広がる。豊かな自然に囲まれた集落の姿はもうない。それでも、約五十五年間住み続けた地に足を運ぶたびに表情が緩む。「やっぱり野行はいいな」。まちがどんなに変わり果てようと、古里への愛情は変わらない。
野行行政区は葛尾村内の行政区で唯一、東京電力福島第一原発事故に伴う帰還困難区域として取り残された。行政区の総面積の約6%に当たる九十五ヘクタールが二〇一八(平成三十)年五月に特定復興再生拠点区域(復興拠点)に認定された。半沢さんの自宅周辺も含まれた。国は二〇二二(令和四)年春ごろまでの避難指示解除を目指している。
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復興拠点には原発事故前、五十戸ほどが軒を連ねていた。現在は環境省が除染や建物解体を進めている。村は田畑や牧草地の利用環境を回復させ、かつて盛んだった農畜産業の再開を後押しする計画を掲げている。
野行行政区の住民は十一月一日時点で三十四世帯の百四人。郡山市やいわき市、三春町など県内外の各地に避難している。避難先で家を新築した住民もいる。半沢さんも約五年前に郡山市に住宅を建てて暮らしている。
半沢さんは農家に生まれ育った。家の周りに田んぼや畑が広がり、牛も飼育していた。のどかな地で、吹き抜ける爽やかな風、若葉の香りは今でも忘れられない。
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半沢さんは月に二回程度、自宅跡地に足を運ぶ。訪れる度に変容している古里に戸惑いと憂いを隠せない。「ここは牛小屋があったよな」「ここに農機具が並んでいたな」。今はなき自宅の面影を追い、もどかしさが募る。「あのときの暮らしはもう戻ってこない」
木造二階建ての自宅は昨年十月に取り壊した。ネズミやイノシシが入り、住めない状態になっていた。いつかは壊さなければならなかった。ただ、解体の際は立ち会わなかった。大切な我が家が壊される様子を直視できなかったからだ。
解体から約二ケ月後、更地になった自宅跡地に初めて足を踏み入れた。家の基礎はなくなり、がれきや草木が山になっていた。言葉に表せない悲しみを押し殺し、前を向いた。「生活を取り戻すため頑張ろう」。ただ同時に、何もなくなった古里を見渡して疑問が浮かんだ。
「住民がもう一度、安心して集まるまちになるのだろうか」