X メニュー
福島のニュース
国内外のニュース
スポーツ
特集連載
あぶくま抄・論説
気象・防災
エンタメ

若い世代納得できるか 亡き母の願いかなわず【復興を問う 帰還困難の地】(47)

2021.01.10 11:31
亡くなったスサヨさんに故郷への帰還を誓う鎌田さん

 「古里に戻る約束は守るからね」。郡山市安積町荒井にある平屋住宅の一室で、富岡町夜の森駅前北行政区副区長の鎌田和義さん(69)は仏壇を見つめ、心の中でつぶやいた。昨年夏に九十七歳で亡くなった母スサヨさんが遺影の中でほほ笑む。

 東京電力福島第一原発事故の発生後に郡山市に避難し、間もなく十年。避難所や借り上げ住宅などを転々としたが「ついのすみか」は設けていない。「いつか必ず夜の森に帰る」。母のスサヨさんと誓い、暮らし続けてきたからだ。

 鎌田さんの自宅は富岡町のJR常磐線夜ノ森駅東側の住宅街にある。原発事故の発生後、帰還困難区域に設定された。長く避難指示解除の見通しが示されない日々が続いたが、二〇一八(平成三十)年三月に国が認定した特定復興再生拠点区域(復興拠点)に含まれた。国は二〇二三(令和五)年春にも避難指示を解除する方針だ。「除染してくれるんだ。よかったねえ」。スサヨさんはうれしそうに話し、帰還する日を心待ちにしていたが、願いはかなわなかった。

 「母の思いを継ぐ」。鎌田さんは一人になっても帰還の意思は変わらない。ただ、富岡の知り合いとの会話で、町に戻るという話はほとんど聞かない。「生活基盤が整っていないからかな。放射線量の高さを気にしているのかな」。頭の中で疑問が渦巻く。

   ◇  ◇

 富岡町の復興拠点は三百九十ヘクタールが認定された。国が地区ごとに除染を進めている。鎌田さんの自宅周辺は二〇一八年から二年がかりで除染が進められ、おおむね完了した。

 避難指示の解除要件について、国はインフラの整備などに加え、年間の積算線量が二〇ミリシーベルトを下回った場合としている。鎌田さんの自宅近くの十一月時点の放射線量は毎時〇・三五マイクロシーベルトまで下がり、年間線量は二〇ミリシーベルトを大幅に下回る見込みだ。

 ただ、郡山市での避難生活で、市内の学校や住宅などは年間積算線量一ミリシーベルト以下に当たる毎時〇・二三マイクロシーベルトを目指して除染しているとの話を聞いた。「二〇ミリと一ミリ。なぜ基準が二つあるのか、若い世代を中心に帰還しようとする人は納得してくれるのだろうか」。帰還の意思に影響が出ないか不安を覚える。

   ◇  ◇

 「きれいな夜の森に戻って、またみんなとおしゃべりしたいね」。スサヨさんが生前、話していた言葉が忘れられない。長年、健康で足腰も丈夫だった。住み慣れた家で暮らしたいとの思いは強かった。鎌田さんは、二年ほど前に一時帰宅し、変わり果てたわが家を見たのが母にとって最後の古里の景色になってしまったことに、やるせなさを感じる。

 「『自宅近くの桜並木を孫やひ孫と一緒に歩く』。そんな母が夢見ていた美しい夜の森に戻してほしい」。国や東電にはその責任があると考えている。