福島県田村市の都路中教諭相沢健生さん(23)は、新採用で同校に赴任してから間もなく1年になる。富岡町出身で、東京電力福島第一原発事故により避難生活を強いられた経験を糧に、指導に当たる。9日、校内で開かれた東日本大震災追悼集会で自身の体験を生徒に語り、地域を支える人になろうと呼び掛けた。
相沢さんは震災と原発事故発生時、富岡一小の6年生だった。家族といわき市に避難し平一中に入学、磐城高から順天堂大に進み、保健体育科の教諭になった。野球に打ち込み、平一中時代は、被災地の代表として選抜高校野球大会(センバツ)で始球式の投手を務めた。磐城高野球部では主将としてチームを引っ張った。
「震災と原発事故がなければ、教員になっていなかった」と振り返る。古里を離れ、苦しい避難生活をしたからこそできた経験と出会いがあったと前向きに語る。「人の役に立ちたい」「福島に恩返しがしたい」との思いから教職に就いたという。
追悼集会には全校生26人が参加した。相沢さんは「震災という苦しい経験を乗り越えて自分の夢を見つけ、こうしてみんなと出会うことができた」と語った。「みんなには都路、田村、福島、そして日本を背負う存在になってほしい」と望んだ。
集会では、震災発生当時、浪江町の浪江東中に勤務していた坂本貴光教頭も講話した。