政府は2021(令和3)年4月、東京電力福島第1原発の放射性物質トリチウムを含む処理水の海洋放出方針を決定したが、実行に向けては2015(平成27)年にサブドレン計画で漁業者と約束した「関係者の理解」が大きな壁となった。「漁業者の理解を得ることなく(約束を)覆した。福島のみならず全国の漁業者の思いを踏みにじる行為」。当時の全国漁業協同組合連合会(全漁連)会長・岸宏は政府方針決定後に放出反対の立場を改めて強調し、政府の対応を厳しく批判した。
漁業者のかたくなな姿勢に、政府内には重い空気が漂っていた。「放出そのものに対する理解、すなわち了解を最終的に得るのは不可能だろう」(政府関係者)。約束を破れば漁業者との間に禍根を残す。政府はあえて賛否に触れず「科学的な安全性への理解」を得る方向にかじを切った。
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政府が福島第1原発の汚染水対策として井戸からくみ上げた地下水を浄化後に海洋放出する「サブドレン計画」を巡り、漁業者と交わした「関係者の理解なしには(処理水の)いかなる処分も行わない」との約束で、関係者から取りつけるべき「理解」は「処分への了解」と解釈できるが、政府に了解への道筋は描けなかった。
その理由の一つに、約束後の経緯がある。最終的にサブドレン計画を容認した漁業者に対し、反対派が非難の矛先を向けるようになった。「判断を迫られた漁業者が苦しい立場に追い込まれたことで、政府への不信感を強める結果を招いてしまった」。政府関係者は苦い経験を明かす。
了解は得られなくても、「科学的な安全性の理解」なら処理水を処分する上で欠かせず、説得もしやすい―。経済産業省は約束の「解釈」を変えつつ、動いた。福島県内をはじめ全国に職員を派遣し、国民にトリチウムの性質を一から説明した。漁業者との意見交換を繰り返し、放出設備に海底トンネルを加えることや、サブドレン地下水を放出する際のトリチウム濃度の基準値1リットル当たり1500ベクレルを採用するなど風評抑止につながる提案を取り入れた。
県内外で処理水に関する説明に当たった経産省資源エネルギー庁廃炉・汚染水・処理水対策官の木野正登は「海洋放出計画の科学的な安全性に加え、政府の風評対策を示し、信頼の構築に努めた」と振り返る。政府による説明の回数は1500回を超えた。CMなどの宣伝にも力を入れた。
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政府が科学的な安全性を担保するための砦(とりで)としたのが国際原子力機関(IAEA)だった。7月に公表した包括報告書は、海洋放出計画について「国際的な安全基準に合致する」と政府の説明にお墨付きを与えた。国際的権威のある第三者機関の評価を得て、安全性への「理解」を得る素地はできた。
ただ、結論ありきの動きには、政府内からも「漁業者に寄り添う姿勢を見せても、しょせんはうわべだけを取り繕ったに過ぎない」との冷ややかな声が漏れる。各種世論調査でも「説明不十分」との意見が多数を占め、政府の取り組みが浸透していない現状が浮き彫りになった。政府は本来あるべき「理解」から目をそらしつつ、海洋放出の開始に向けて突き進んだ。(敬称略)