東京電力福島第一原発事故で避難区域が設定された市町村では、避難指示の解除に伴い、住民の帰還が進んでいる。ただ、原発事故から時間が経過するにつれ、帰還者の数は伸び悩んでいるのが実情だ。人口減少が進めば、今後の自治体運営に支障が生じる。関係者からは「自治体の存続が困難な状況に陥りかねない」との声が上がる。国や県、各市町村は住民の帰還促進策に力を入れるとともに、新たな人々の移住・定住による人口増が喫緊の課題とみて、さまざまな施策を打ち出している。
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二〇一五(平成二十七)年九月に全町避難になった自治体で初めて避難指示が解除された楢葉町。解除直後から着実に帰還が進み、三年後の二〇一八年九月には町内居住率が五割を超えた。町内には商業施設「ここなら笑店街」が整備され、買い物をする住民でにぎわう。
しかし、帰還のスピードは徐々に緩やかになり、二〇二一(令和三)年一月末現在の町内居住者数は四千三十八人、居住率は59・7%と六割を前に足踏み状態が続いている。直近一年間の町内居住者の伸びは百人程度で、「今後、一気に帰還が進むとは考えにくい」(町の担当者)とみている。
他の市町村でも原発事故から十年近くが経過する中で、帰還の動きは鈍化している。浪江町は二〇一七年三月、富岡町は同年四月に町内の一部で避難指示が解除された。それから四年近くが経過するが、両町とも直近の町内居住者数は千六百人程度となっている。町全域の避難指示が解除されていないため単純な比較はできないが、原発事故前には浪江町に約二万人、富岡町に約一万六千人が居住しており、当時の状況に戻る見通しは立っていない。
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復興庁などは毎年、避難区域が設定されている市町村を中心に住民意向調査を実施してきた。二〇二〇年度に調査を実施した富岡、大熊、双葉、浪江、川俣の五町のうち、川俣町(山木屋地区)を除く四町で、戻らないと決めた住民が理由に挙げたのは「(避難先で)すでに生活基盤ができているから」が最多だった。長期にわたり古里に戻れない状況によって、多くの住民が避難先に生活拠点を構えている実態がある。
帰還意向に関する質問では、富岡町で14・8%、大熊町で26・2%、双葉町で24・6%、浪江町で25・3%、川俣町(山木屋地区)で7・4%の住民が「まだ判断がつかない」と回答している。今も古里への帰還を迷っている住民は少なくないことがうかがえる。
判断を迷っている住民に「帰還を判断するために必要なこと」を尋ねると、医療・介護福祉施設の再開や商業施設の拡充を求める声が上位を占めている。医療機関や商業施設の再開を後押しするような施策の必要性が高まっているとみられる。
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人口減少が進めば税収が確保できず、自治体運営に大きな影響が生じる。富岡町は二〇一九年度の歳入のうち町民税が約七億円を占める。働き世代が帰還しないまま、避難先の市町村に転出してしまうと大幅な税収減になる見通しだ。町の担当者は「今は復興事業の進展に伴い国からの交付金の割合が多いが、復興が進むにつれ、歳入に占める町民税の割合は増える。人口が減少すると施設利用料収入なども減少し、町の財政運営が厳しくなると想定される」と危機感を募らせる。
国や県、各市町村は避難指示解除地域の生活環境の整備や改善を進め、住民帰還を促してきた。スーパーやコンビニなどの出店を推進して買い物環境の充実に取り組み、企業誘致により帰還者の雇用の場の確保を図っている。
帰還する住民の放射性物質への不安解消にも取り組んでいる。冊子などを通して放射線の健康影響に関するきめ細かな情報の提供を進めるとともに、住民の帰還後に保健師らが相談に乗り、住民を身近で支える仕組みを整えている。
他の市町村に先駆けて「帰村宣言」をした川内村では、四月に義務教育学校が開校する。村の帰還率は近年、80%台前半で頭打ちの状況が続き、子育て世代の帰還が大きな課題だ。遠藤雄幸村長は「特色のある学びの空間が、子どもたちの帰還に結び付いてほしい」と願いを込める。
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帰還が伸び悩む中で、国や県、各市町村は移住・定住の拡大を目指している。国は新年度、避難区域が設定された十二市町村に移住する人に、一世帯当たり最大二百万円を支給する方針を固めた。
国の動きに合わせ、各市町村も移住促進に向けた動きを活発化させている。南相馬市は新年度、移住者と住民との懸け橋になる世話人を設け、地域情報の提供を通して移住者が安心して暮らせる仕組みを整える。飯舘村は移住者が住宅を新築した場合に最大五百万円を支援する制度などを設け、二〇一七年三月の避難指示解除後の新規移住者が百五十人を超えた。
各市町村では福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想の中核に位置付けられている国際教育研究拠点の整備にも期待が高まっている。拠点の立地地域には研究者やその家族ら多くの移住が見込まれる。県避難地域復興課の担当者は「これまでは帰還環境整備に重きを置いてきたが、産業復興を担う人材が増えていないという課題がある。新たな活力となるような人を呼び込む取り組みを進めたい」としている。