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【震災・原発事故10年ルポ】土砂の波13人の命奪う 白河市葉ノ木平 「忘れないのが供養」 

2021.02.11 09:15
正面奥が崩落現場。その前に復興公園、294号国道バイパスが広がる

■当時白河支社記者 広瀬昌和

 「山の杉の木が踊った」。二〇一一(平成二十三)年三月十一日、震度六強の揺れが襲った白河市葉ノ木平。複数の住民が異常な光景を目撃していた。山頂と斜面は、ごう音を上げて崩壊、土砂は一瞬で多数の家屋をなぎ倒した。

 大規模地滑りは五歳から八十二歳まで十三人の命を奪った。当時記者として十三日間に及ぶ救出作業を取材した。

 最初に現地に到着した白河地方広域市町村圏消防本部の総務係長鈴木康次さん(48)=当時総務課庶務係主任=は眼前の土砂の壁に声を失った。無数の大木が巻き込まれ、ひしゃげた家屋が下敷きになっていた。間一髪、難を逃れた女性が震える声で鈴木さんに伝えた。「道を歩いていたおばあちゃんが土砂にのまれた」

 「重機が乗ったら土の中の人が死んでしまう」。同消防本部消防長の安部達郎さん(59)=当時警防課長補佐=の耳の奥から家族の叫びが離れない。二十四時間の救出作業を指揮した。「一刻も早く待つ人の元に戻す」。薄皮をはがすように重機で掘り進め、発見が近いと見れば手で泥をかき分けた。

   ◇  ◇

 二〇一六年、災害現場に震災復興記念公園が完成した。葉ノ木平を横断する二九四号国道白河バイパスの整備が進む。周辺の風景が変わる中、住民は今もさまざまな思いを抱える。

 近くでフラワーショップを経営する生田初子さん(71)は喪失感をにじませながら「穏やかな姿に様変わりした今も、現場に足が向かない住民は少なくないのでは」と話す。地元向寺の聯芳寺(れんぽうじ)住職竹貫博隆さん(72)は町内会長として家族の悲嘆を目の当たりにした。震災後二年目から始めた慰霊祭もあっという間に回を重ねた。読経が家族の心を癒やせるか確信はない。それでも「犠牲者を忘れないことが何よりの供養となる」と冥福を祈り続ける。

 災害を後生に伝える震災復興記念公園。その記念碑に向かい合う格好で、大規模崩壊の引き金となった山肌がほぼ当時のまま広がっている。バイパス開通という未来に向けた営みが続く葉ノ木平にあって、山肌周辺の時計だけが止まっているような違和感を覚える。「風化」の二文字が心に浮かんでは消える。

   ◇  ◇

 悲劇の記憶が薄れていくことは止められないのか。「人生を断ち切られた方々の無念を、自らの心に刻むことだ」と鈴木和夫市長(71)は語る。犠牲者のものだったのだろうか。目を閉じれば、土中から掘り出されたランドセルが今も脳裏をよぎる。「生きている私たちにできることは何か。これまでも、これからも問い続けていかねばならない」。そう鈴木市長は話した。(現白河支社長)