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【震災・原発事故10年ルポ】避難先に交流の苗木 広野町 教育充実、若者が躍動

2021.03.17 13:34
海岸沿いに整備された防災緑地から望むJR広野駅東口。テナントビルやホテル、アパートなどが新たに建設された=2021年2月

 震災後・富岡支局記者 小林和仁 いわき市のスパリゾートハワイアンズの一画に、広野町ゆかりのシダレザクラがある。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の翌年二〇一二(平成二十四)年五月、町民有志が植樹した。「出会い」「希望」などと名付けられた苗木は大切に育てられ毎春、花を咲かせている。

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 広野町は一時、緊急時避難準備区域に設定され、県内各地に二次避難所が設けられた。このうち、いわき市のホテルハワイアンズはピーク時に四百人を超えた。震災直後から三年間、主に双葉郡南部の自治体の取材を担当しており、近くにある同町の仮役場に何度も訪れた。

 退去の際に町民が「いつまでも『ハワイアンズ後援会』の一員」と感謝を伝えると、「自分の家のように『ただいま』と言ってほしい」と互いに励まし合っていた姿を思い出す。臨時自治会の会長だった鈴木正範さん(76)によると、サクラが咲き始める頃にハワイアンズを訪れる町民は今もいるという。「自身も震災でつらい思いをしている社員が親身になって接してくれた。感謝は尽きず今でも涙が出る」と振り返る。

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 町内には震災前になかった数多くの施設ができた。JR広野駅周辺の東側開発整備事業は復興のシンボルだ。テナントビル、ビジネスホテル、医療機関、子育て世代中心の住宅団地が整う。役場前にはスーパーが進出し買い物客でにぎわう。海岸沿いにできた防災緑地には散歩をする町民らの姿があった。

 中高一貫のふたば未来学園は文武両道を実践し、日本サッカー協会のJFAアカデミー福島男子は今春、町内で再出発する。いずれも町民が全力でサポートする。教育環境が充実し、若い世代が躍動する姿は頼もしい。

 「日常生活を取り戻すために、無我夢中の十年だった」。町内で飲食店を営む鈴木すみさん(55)は、ゆっくりと町内を見渡した。震災と原発事故前の九割にあたる約五千四百人が古里に戻った。生活に直結するハード面が整う一方で、心を満たすソフト面の充実が必要と感じている。

 「子どもたちに広野の良さや魅力をどれだけ伝えられるか。生活基盤を立て直した十年が過ぎ、次は将来像を描く十年になる」と前を向く。次世代にしっかりとバトンを渡すために、新生広野のこれからの十年に注目したい。(現編集局次長)(2021年03月05日付掲載)