■震災前・浪江支局長 筒井達夫
今も全町避難が続く双葉町では二〇二二(令和四)年春ごろから住民帰還を進めようと、町内の環境整備が進んでいる。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故など考えもしなかった浪江支局長時代の二十余年前の自分を思い返しながら町に入った。
一時立ち入り許可を得て、双葉海水浴場を訪れた。かつて夏のレジャーやキャンプ、元旦の初日の出などの取材で何度も足を運んだ。わが子が小さかった頃に家族で楽しんだ場所でもある。
現在は護岸工事が進みブロックやフレコンバッグが積まれ、場内の施設「マリーンハウスふたば」は津波の被害を受けたまま残る。砂浜から見える建物の時計は、津波が到達したと思われる午後三時三十六分で止まったままで、いたたまれない気持ちになった。
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海岸に近い中野地区は震災前に田畑や木々、集落があった田園風景が様変わりし、きれいに整地された区画が目に飛び込んだ。
昨年九月にオープンした東日本大震災・原子力災害伝承館は、映像や資料で当時の様子や復興の歩みを紹介している。今年一月末までに、全国から三万四千四百三十四人が訪れた。企画事業部事業課担当の泉田淳さん(61)は震災当時、南相馬市の大甕小教頭だった。津波で犠牲になった児童のことを思いながら現在、来館者に展示を説明している。「津波に人間はかなわない。万一の際どうやって身を守るか、来館者が自分で考えられるようにしたい」と力を込めた。
伝承館の隣には昨年十月に開館した町産業交流センターがあり、伝承館利用者や一時帰宅の町民の交流、飲食に利用できる。両施設周辺には会社事務所や店舗、ホテルなども少しずつ姿を見せている。中野地区に双葉事務所を開設した伊藤工務店顧問の伊藤哲雄さん(62)は「町民が帰りたくなるような新しい町づくりに貢献し、次世代に町の基盤を継承したい」と誓う。
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町中心部のJR双葉駅周辺も姿を変えた。昨年三月の常磐線全線再開通に合わせて供用を開始した新駅舎は、自由通路で東口と西口を結んでいる。東口の旧駅舎は情報発信、休憩スペースとして残され、昔の面影を伝える。駅と伝承館などをつなぐシャトルバスが走り、備え付けのシェアサイクルも利用できる。西口一帯では住民帰還に向けた宅地造成が進み、重機の音が周囲の山や建物に響く。
時間はかかるかもしれないが将来、駅周辺に住宅や店舗、公共施設が復活し、以前のように人や車が行き交う日を見届けたい。(現編集局編集委員)(2011年2月20日付掲載)