
稲穂が黄金色に染まり始める時期となったが、仮置き場にされた田畑には除染廃棄物が入った黒い袋が山のように積まれ、周囲に雑草が茂る。東京電力福島第一原発事故で帰還困難区域に設定された富岡町小良ケ浜(おらがはま)行政区の区長を務める佐藤光清(こうせい)さん(65)は、豊かだった農地の変わり果てた姿に胸が苦しくなる。
町内の全ての仮置き場は帰還困難区域の小良ケ浜、深谷の両行政区に集中している。仮置き場の総面積は約百十ヘクタールに上り、約七十万立方メートルの廃棄物が保管されている。
佐藤さんは所有している田んぼ二・六ヘクタールの全てを仮置き場に提供した。先祖が開墾し、買い取って広げた大切な水田だ。会社に勤めながら耕し、家族総出で稲刈りに励んだ。家族との絆を育んだ場でもあった。
「これ以上、廃れていくのを放置できない。何か土地の利用策を考えないと」。そうした思いが、どんどん大きくなっていった。
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佐藤さんは昨年八月、東電福島復興本社の幹部を小良ケ浜、深谷の両行政区に招き、地域の現状を伝えた。東電の研究施設の誘致などを働き掛け、土地の活用を促すのが狙いだった。
国に向けても要望を繰り返している。小良ケ浜行政区内にある仮置き場には、農地除染で使われたトラクター二十台が数年間にわたり保管されている。除染が終了した土地の所有者に貸し出すなど、農地の回復や保全に利用できるよう環境省に提言した。だが、トラクターは依然として仮置き場で眠ったままだ。
他にもイノシシ対策や除染など、国にさまざまな項目を要請してきた。いずれも故郷の復興を願う住民としての意見だったが、相手の反応は鈍かった。
「国の役人は転勤して担当から外れれば人ごとになる。しかし、私たちは一生の問題なんだ」。地域の意見が柔軟に取り入れられてほしいと願う。
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町は帰還困難区域の復興再生に向けた整備時期を二〇一八(平成三十)年度から二〇二七年度までの十年間としている。小良ケ浜行政区など特定復興再生拠点区域(復興拠点)外の白地(しろじ)地区については、町主体による除染や家屋解体の実施を国に求めている。だが、国がどう対応するかは現時点で不透明だ。
長きにわたり郷土の文化や風習をつくり上げてきた人々の営みを途絶えさせるわけにはいかない。先祖から受け継いだ伝統を守り、原発事故で止まった時計の針を再び動かすことが、今を生きる者の使命と胸に刻んでいる。
心のよりどころにしているのは、父が太平洋戦争に出兵する前に自宅の敷地で撮影した白黒の家族写真だ。総勢十二人が写り込んでいる。一時帰宅した際に自宅から持ち帰った。古ぼけて不鮮明になっていたが、業者に補修してもらった。父を囲むように並んだ家族の多くは、既にこの世を去っている。いわき市の避難先の仏壇に飾り、毎日、線香を供えて手を合わせている。
写真の前に座るたびに郷愁が押し寄せ、帰還する意欲が湧き上がる。「必ず故郷を取り戻す」。天国で見守っているであろう家族に誓い、古里に思いをはせる。