
エゴマ油にエゴマのドレッシング、ジャム…。福島市飯坂町にある石井農園の事務所に多彩な加工品が並ぶ。
東京電力福島第一原発事故により浪江町津島地区赤宇木(あこうぎ)から福島市に避難している石井絹江さん(68)は、二〇一五(平成二十七)年に夫隆広さん(72)と石井農園を設立した。約二十アールの遊休農地を買い受け、エゴマを栽培している。サクランボや野ブドウ、キクイモなども育て、さまざまな加工品を手がける。
避難を機に、交友関係が広がった。古里への愛着は変わらないものの、十年近くお世話になってきた福島市の人々への恩義が、帰還への熱意に薄い膜を張りつつある。
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町職員だった石井さんは原発事故から一年後の二〇一二年三月、定年退職した。その後、避難者支援に取り組む団体の一員として活動するなど、復興に携わった。
石井農園を設立したきっかけの一つは夫隆広さんが避難後に体調を崩したためだ。「体を動かして元気になってほしい」。隆広さんの健康を気遣うとともに、自らも農業への情熱が再燃した。雑木林だった土地を開墾し、事務所を設けた。
町産業振興課の職員だった時に力を入れたエゴマ栽培に再び取り組んだ。エゴマは栄養豊富で、食べると十年長生きするとの言われから「じゅうねん」とも呼ばれる。慣れない避難先で元気に暮らすためにもぴったりの作物だった。
原発事故前、津島地区の住民らで組織した「つしま活性化協議会」で商品開発に励んだ毎日、やる気に満ちた仲間の笑顔-。懐かしい日々に戻れないという現実を受け止め、新天地で生きがいを見つけていった。
県内外のイベントに出展し、多彩な加工品の魅力を伝えてきた。福島市周辺で知り合った農家から規格外の作物を低価格で買い取り、加工品の種類を増やした。活動の場を広げつつ、イベント出展時には「浪江」の看板を掲げるなど古里を前面にアピールし続けている。
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国は二〇一七年十二月、浪江町の帰還困難区域約一万八千百三十九ヘクタールのうち室原、末森、津島の三地区の一部計六百六十一ヘクタールを特定復興再生拠点区域(復興拠点)に認定した。二〇二三(令和五)年三月の避難指示解除を目指し、除染や建物解体を進めている。赤宇木にある石井さんの自宅は拠点に含まれた地域からわずか百メートルほどの場所にある。拠点内の風景がどんどん変化している一方、自宅周辺は白地(しろじ)地区で手つかずのままだ。やるせない思いが胸にこみ上げる。
復興拠点は国が集落単位で認定した。拠点から外れた地域は、原発事故から十年目となった今も避難指示解除の見通しが示されない。「古里での将来を描くことすらできない住民がいることを、国はもっと真剣に考えてほしい」。石井さんは切に願う。
古里の農業を再生したいとの熱意は冷めない。石井農園を営む傍ら、浪江町の避難指示が解除された地域にエゴマ畑を整備した。月に十五日ほど、福島市から車で約二時間かけて通い、若手農業者たちに手ほどきする。
「自分はきっと帰れない。でも、除染はしっかりやってほしい」。町の若者に古里の復興を託すため、国に誠実な対応を求める。