未除染、若者の未来に影 教え子の今に思い寄せる 【復興を問う 帰還困難の地】(46)

2021/01/09 11:42

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教え子からの寄せ書きを懐かしそうに見詰める泉さん
教え子からの寄せ書きを懐かしそうに見詰める泉さん

 「いっつも明るくて元気もらっていました」―。東京電力福島第一原発事故で大熊町から会津若松市の旧河東三小に避難している熊町、大野両小学校の二〇一三(平成二十五)年度卒業アルバムに、熊町小教諭として同年度に定年を迎えた主婦泉順子さん(67)への感謝の言葉がつづられている。

 泉さんは熊町小勤務時に原発事故に遭った。学校の避難後も、町南部の熊地区から会津若松市に居を移して教壇に立った。「懐かしいね」と目を細める。

 最後の教え子はすでに高校を卒業し、県内外へ羽ばたいた。「大熊生まれだと周囲の人に話すのかな」。事故を起こした原発が立地する町の出身者として、古里をどう見詰めているのか気に掛かる。

 懸念の元は、国の除染方針だ。国が当初から掲げる除染の長期目標は年間追加被ばく線量一ミリシーベルト以下。一方で帰還困難区域の特定復興再生拠点区域(復興拠点)外について、除染をしていない地域でも年間積算線量が二〇ミリシーベルトを下回れば人が居住しない土地に限り、地元の意向に応じて避難指示を解除できるとする仕組みを定めた。

 町の大部分が帰還困難区域の大熊町は、居住を前提としなければ多くの場所で除染されないまま避難指示の解除が可能となる。未除染の場合、教え子は大熊町出身だと胸を張って言えるかどうかが心配になる。

 定年後も一部の教え子と連絡を取り合う。原発事故前に二年間、事故発生後は五年生の時に受け持った女子は中学生の時、少年の主張県大会で「故郷の誇り」と題して発表し、優秀賞を受けた。はにかみながら報告してくれたことが心に残っている。今は東京の大学生になった。泉さんは「楽しい思い出がたくさんあるはず。古里を心に残しておいてほしい」と願う。

 会津若松市への避難後、慣れない生活を周囲の住民らが支えてくれた。一方、避難先で子どもがいじめに遭うのを避けるため、大熊町出身であることをあえて隠している保護者もいると耳にした。

 新型コロナウイルス感染拡大で、感染者への差別や偏見が話題になる。日本人には自分と違う立場の人を遠ざける傾向があると感じている。「大熊出身だからと偏見を持たれなければいいが…」

 東京と変わらない線量になるのであれば、大熊町で生まれ育ったことを隠す必要はなくなると感じる。「除染は徹底してもらわなくてはならない」。若者の将来も左右すると考えている。