
東京電力福島第一原発事故により帰還困難区域となっている飯舘村長泥行政区で、除染土壌を再生利用して農地を造成し、作物を栽培する実証試験が進む。現在は農地造成の前段階として作物の安全性を確認する実証ヤードが設けられ、環境省職員と住民らが野菜や花卉(かき)を栽培している。
長泥行政区から川俣町に避難している鴫原誠一さん(77)は二〇一九(令和元)年十二月から、実証試験に協力している。「慣れ親しんだ場所で農作業をしていると心が落ち着くんだ」。春の陽気を思わせるハウスで、大粒の汗を拭う。
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長泥で生まれ育った。中学校を卒業後に家業の農業を手伝った。タキ子さん(72)と結婚した後は富岡町の建設土木会社に勤務する傍ら、畜産や水稲、野菜、花卉の栽培に励んだ。「忙しい毎日だったけど、充実していたよ」
平穏な日常は二〇一一(平成二十三)年三月に発生した原発事故で一変した。村は翌月に計画的避難区域に設定され、全村避難を余儀なくされた。飼っていた和牛十頭は売却しなければならず、本宮市の市場に向かった。手綱を引く手が震え、涙が頬を伝った。
「いつかは長泥に戻る。荒れた土地にはしたくない」。避難先の親戚宅から長泥に足しげく通った。村の見守りパトロール隊として治安維持に努め、地元の神社境内の草刈りや自宅の手入れにも精を出した。
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環境省は二〇一四年、除染で出た土壌を公共工事で再生利用する方針を打ち出した。中間貯蔵施設で保管する除染土壌を減らし、県外で最終処分する量を大幅に圧縮する狙いがある。
再生利用に向けた実証試験の地とされたのが長泥行政区だった。除染土壌を使って大規模な農地を造成する事業の概要が村を通じて住民に伝えられた。国と村、住民の間で約一年にわたる協議が行われた。国の担当者は「県外最終処分のためには再生利用で総量を減らすことが欠かせない。協力してほしい」と頭を下げた。村は二〇一七年、地元住民の了承を得た上で、再生利用事業の受け入れに合意した。
農地が造成される場所は特定復興再生拠点区域(復興拠点)となった。鴫原さんの敷地の一部も含まれた。思い出の詰まった家を二〇一九年十二月、国費で解体した。牛小屋や花を育てていたハウスも処分した。今は農機を保管する小屋だけが残っている。
鴫原さんは更地となった自宅周辺を見つめ、再生利用の行く末に思いをはせた。「原発事故で汚された地域の環境回復につながると信じ、協力している。国は再生利用と県外最終処分を必ず実現すべきだ」