【震災・原発事故10年ルポ】子育て世代帰還停滞 川内村 義務教育学校に夢託す

2021/03/07 15:58

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川内中で最後の卒業生となる3年生。4月には川内小中学園が開校する=2021年2月
川内中で最後の卒業生となる3年生。4月には川内小中学園が開校する=2021年2月

■震災前・富岡支局長 渡部育夫


 川内村の川内中を訪ねると、三年生十一人は残り少ない中学生活を惜しむように、語らいを楽しんでいた。東日本大震災の記憶が、かすかに残る世代。思い出に満ちた学びやは三月で閉じられ、約二キロ離れた場所で義務教育学校「川内小中学園」に生まれ変わる。

 富岡支局に勤務した二十年前、川内中や隣の富岡高川内校を取材で何度も訪れた。両校から部活動の声が響き合う放課後の風景は、過疎化が進む村のオアシスを思わせた。

 富岡高川内校は生徒の減少を理由に閉校が決まり、二〇一一(平成二十三)年三月一日、最後の卒業式を迎えた。十日後、震災が起きる。両校の校舎は隣の富岡町から避難した人々であふれた。

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 村は震災発生五日後の三月十六日、郡山市などへの全村避難に踏み切った。東京電力福島第一原発の爆発を受け、国や県の指示がないままの判断だった。

 五月、初の一時帰宅を伝える記事を見て胸が締め付けられる思いがした。カエルの詩人・草野心平が愛した美しい村に、防護服は似つかわしくない。それでも六月には、平伏沼のモリアオガエルが産卵し、ふわふわの塊を作る写真が紙面を飾った。変わらぬ自然の神秘に希望を感じた。

 遠藤雄幸村長(66)は二〇一二年一月、避難区域で最も早く帰村宣言をした。久しぶりに会うと、「戻れる住民は半分ぐらいだろうと考えていた」と打ち明けた。今は企業の進出が進み、ワインやイチゴなど新たな産品作りも緒に就いた。住民登録者の81・5%に当たる二千五十三人(二月一日現在)が村内で暮らす。

 一方で、就学者数は震災直前の二百三十二人から百十三人に半減した。このうち震災後に村外から移住した世帯の子どもが半数近い五十二人に上ると知り、驚いた。企業誘致、ひとり親世帯移住支援などの成果が現れている半面、子育て世代の帰還は停滞していることがうかがえる。

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 遠藤村長はもともと教員志望で、若手村議の頃から教育による村づくりを熱く説いていたのを思い出す。二〇〇七年の村営塾開設は全国から注目された。震災十年の今、川内小中学園に将来を託す。

 保育料無料の認定こども園を含め、ゼロ歳から十五歳まで系統立てた指導に取り組む。住民と交流する教室、塾、ピアノ教室も設ける。川内中の佐々木徹校長(57)は「村民を増やすため、魅力ある学校にしたい」と話す。

 昨年末、双葉郡の子どもたちによる二十年後の未来新聞作りを手伝った。川内中生が作った新聞のトップ記事は「生徒三百人超え」。学園が新しいオアシスとなり、生徒の願いが実ってほしい。(現地域交流部長) (2021年3月7日付掲載)