国の言い分聞き飽きた 白地地区は中ぶらりん【復興を問う 帰還困難の地】(62)

2021/03/13 08:15

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大熊町の復興拠点から外れた「白地地区」。原発事故発生から10年が過ぎたが、除染や避難指示解除の見通しは示されていない=2021年3月10日
大熊町の復興拠点から外れた「白地地区」。原発事故発生から10年が過ぎたが、除染や避難指示解除の見通しは示されていない=2021年3月10日

 帰還を諦めても、心は古里から離れられない-。大熊町企画調整課長の永井誠さん(49)は、東京電力福島第一原発事故による帰還困難区域の特定復興再生拠点区域(復興拠点)から外れた「白地地区」の住民の思いを、こう表現する。原発事故から十年が過ぎても、白地地区は避難指示解除に向けた時間軸や除染の方針さえ示されていない。

 「白地地区の人々のやるせなさは痛いほど分かる」。永井さんは夫沢行政区に住んでいた。そこは、除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設が整備されている。今では家も土地もない。白地地区ではないものの、戻ることができないのは同じだ。

 自宅では約十ヘクタールの水田で稲作などを手掛けていた。自らも原発事故前は兼業農家としてコメ作りに励んだ。田植え機、トラクター、コンバイン。役場を離れると田んぼで機械を動かした。「五十五歳で引退して、農業にいそしもう」と考えていた。豊かな田園風景が恋しい。

 「何も残せず、悔しい。ましてや、放置されたままの白地地区の人々は、俺よりつらいはず」。住民の思いを推し量る。

   ◇  ◇

 町内では大川原地区で役場新庁舎などが立地し、新たなまちづくりが進む。復興拠点は国が二〇二二(令和四)年春の避難指示解除を目指して除染や社会基盤整備を行っている。

 一方、白地地区の住民は、土地や家屋の扱いを自分で決めることさえできない。国による除染などが完了していない段階では、自宅や土地を手放そうと思っても、買い手も借り手もあるはずもない。

 町内の帰還困難区域は約四千九百ヘクタール。このうち、復興拠点約八百六十ヘクタールと町側の福島第一原発の敷地約二百ヘクタール、中間貯蔵施設用地約千百ヘクタールを除いた、約二千七百四十ヘクタールが白地地区に当たる。住民は約二千人。現在も古里で暮らせる見通しは立たず、中ぶらりんのままだ。

   ◇  ◇

 「いったい、何十年かけるつもりなんだ」。永井さんは復興に関する国との協議で、声を荒らげることがある。白地地区の避難指示解除に向けた道筋が付かなければ、町内全域の復興を見据えた計画を立てられない。

 帰還困難区域を巡り、政府が多用する表現がある。「政府としてたとえ長い年月をかけても将来的に帰還困難区域全てを解除する」。六日に来県した菅義偉首相も口にした。

 永井さんは、具体的な動きを見せずに、お決まりの文言を繰り返す国の姿勢に疑問を抱く。「聞き飽きた。本当に除染して解除するつもりはあるのか」


 原発事故により帰還困難区域となった地域の住民は、避難生活を強いられ、十年の月日が流れた。古里で暮らしたいと願う人がいる一方で、政府の方針が示されず古里での将来を思い描けないことを理由に、戻らないことを決断した人がいる。古里への愛情を持ちながらも、帰還を諦めた住民らの姿を追う。