
大熊町大川原地区にある町役場新庁舎。企画調整課長の永井誠さん(49)の自席後方に、町の地図が張ってある。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から十年が過ぎた今も帰還困難区域は残る。地図には、除染や避難指示解除の見通しすら示されていない「白地地区」が赤色で示されている。
「町内全域で生活を営めるようにならなければ、復興には至らない」。地図を見る表情は険しい。
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現在、町内で住民が暮らせるのは大川原地区など、かつての中心市街地から離れた一部に限られる。町の三月一日現在の住民登録者数は一万二百三十八人で、町内居住者は二百八十五人となっている。
大川原地区内には二月に町診療所が開所した。四月五日にコンビニエンスストアや飲食店、美容室など九店舗が入る商業施設がオープンする。ただ、町診療所が開くのは当面、週一回のみ。多くの住民が安心して生活できる環境には至っていないのが実情だ。
復興庁が今年一月に公表した住民意向調査では、町内に「戻らないと決めている」との回答が59・5%に上った。「既に生活基盤ができている」「避難先の方が生活利便性が高い」「医療環境に不安」などが理由に挙げられている。
町が活力を取り戻すには、町中心部の特定復興再生拠点区域(復興拠点)の再開発が不可欠だ。町はJR大野駅周辺に産業交流施設や産業団地、公営住宅などの整備を計画している。
来年春を目指す復興拠点の避難指示解除に向け、町は今年十月に準備宿泊を始める方針を打ち出した。夏には住民説明会を開く予定だ。
一方、白地地区は原発事故の発生後、時計の針は止まったままだ。地区内の住民からは町役場に「将来がどうなるか分からないから、戻らない」との声が寄せられる。
「長い間、避難生活を強いられ、帰還を諦めるのは仕方がない。それでも、古里への愛情は帰りたいと願う人と変わらないはず」。永井さんは、町全体を原発事故前に戻すことが国の責務だと考える。
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復興拠点は二〇一七(平成二十九)年十一月に認定されてから、五年かからずに避難指示が解除される見通しだ。
町は白地地区で山林などを除き、除染が必要となる農地や宅地の面積は約六百五十ヘクタールと試算している。国が除染を進めている復興拠点約八百六十ヘクタールより狭い。永井さんは、白地地区も国が除染や社会基盤整備を進めれば、「次の五年」で解消できると訴える。
「国は早急に町内全域の避難指示解除の道筋を示すべきだ。町内を等しく復興のスタートラインに立たせてもらいたい。住民の古里への思いをないがしろにしないでほしい。そうしているうちに帰還を諦める人がどんどん増えてしまう」。国の動きが見えない現状に、もどかしさが募る。