東京電力福島第一原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含んだ処理水を巡り、政府は昨年十月にも処分方法を決める見通しだったが、約半年間先送りした上で海洋放出の方針を固めた。先送りした間に、政府が国内外の理解を醸成した形跡は見当たらない。逼迫(ひっぱく)するタンク容量の限界を理由にした「無策を棚に上げた時間切れ演出」との指摘が出ている。識者は「全く国民的議論が深まっていない。政府は半年間で何をしたのか。結局、結論ありきだったのでは」といぶかしむ。
処理水の取り扱いを議論した政府小委員会が昨年二月にまとめた報告書では、処分方針決定に向けて「地元自治体や農林水産業者をはじめとした幅広い関係者の意見を丁寧に聴きながら、責任と決意をもって方針を決定することを期待する」「透明性あるプロセスで決定を行うべき」と政府に求めた。
政府は小委の提言に基づき、昨年四月から市町村や業界団体など関係者から意見を聞く会合を始めた。ところが第一回目の昨年四月六日は、政府が新型コロナウイルスの感染拡大により東京都など七都府県に緊急事態宣言を発令する前日というタイミングで、国民の意識が新型コロナ感染対策に集まる中、結果として処理水への関心は高まらなかった。
政府は緊急事態宣言下でも意見聴取会を強行した。県内外で計七回にわたり市町村や業界団体など二十九団体四十三人から意見を聞いたが、一方的に意見を聞くだけの会合で、双方向の議論には発展しなかった。昨年十月八日に全国漁業協同組合連合会(全漁連)などの主張を聞いた段階で主要な関係者から聞き取りを終えたとして、方針決定に踏み切る方向で関係者に根回しを進めた。
そのわずか一週間後の昨年十月十五日、全漁連の岸宏会長と県漁連の野崎哲会長が動いた。梶山弘志経済産業相ら関係閣僚に対し、海洋放出に絶対反対の立場を霞が関に乗り込んで直接訴えた。漁業関係者の総意として断固反対の姿勢を突き付けられ、政府は方針決定を先送りせざるを得ない状況になった。
昨年二月の小委員会の報告書取りまとめ以降、政府は意見聴取会を開催した他、自治体や農林水産団体、市民団体などとの意見交換会や説明会を続けてきた。今年三月までの実績は約七百回に上るという。また、経済産業省資源エネルギー庁は東電とともに昨年十月以降も福島第一原発に約四十団体計百五十人の視察者を受け入れるなど処理水を巡る現状を伝えてきた。
とはいえ、意見交換会や説明会は各団体からの求めに応じて、資源エネルギー庁などが開催したのがほとんどだ。しかも県内や東京都での開催が多く、エネ庁が率先して四十七都道府県を回って開催したわけではない。
いずれも、処理水の行方に関心があるグループなどへの説明にとどまる。処理水にそもそも関心のない国民層への幅広い情報発信は足りず、国民的理解が深まったとは到底言えないのが実情だ。政府関係者は「全国的に処理水に関する理解を得られたとは言いがたい」と理解醸成の不足を認めた上で「放出開始までの約二年間で最大限の努力を尽くす」としている。
政府小委員会の委員を務めた日本消費生活アドバイザー・コンサルタント・相談員協会顧問の辰巳菊子氏は「一般消費者が福島県産品を避けることのないよう、消費者の理解をどう深めるかが最も問われている。政府は消費者を意識して情報発信をすべきだ」と訴える。