論説

【震災遺構請戸小】防災教育実践の場に(10月27日)

2021/10/27 09:23

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 今春閉校した浪江町の請戸小が東日本大震災の震災遺構として生まれ変わった。地震と津波の爪痕が残り、自然災害のすさまじさを如実に示す。学校の北西には児童と教職員の避難場所となった大平山があり、災害にどう備え、行動すべきか貴重な教訓を与えてくれる。建物にとどまらず、周辺地域を含めて防災教育実践の場になってほしい。

 被災した本県沿岸部の建物の多くは取り壊された。残っている施設も活用法が決まっておらず、震災遺構は請戸小が初めてだ。学校は太平洋岸から約三百メートルの場所にあり、震災当日は、既に下校していた一年生を除く二年生から六年生まで八十二人と教職員十三人が在校していた。避難場所に指定されていた大平山まで約一キロを急ぎ足で逃げ、山道をさらに数キロ歩いて内陸部の六号国道にたどり着き、全員が助かった。

 避難後に請戸小は津波に襲われ、二階建て校舎の二階床面まで浸水した。避難の判断が遅れたら、どのような結果になっていたことか。職員は不安を募らせる児童を励まし、地理に詳しい児童が大平山への登り口を教職員に教えた。教職員の適切な判断と児童の冷静な行動から学ぶべき点は多い。水害や火山災害などが近年多発する中で、請戸小での経験は自然災害を「わがこと」と捉え、防災意識を高める絶好の教材となる。

 そのためには、六号国道までの避難路を命を救った道として保存・整備し、案内板などを設置してほしい。大平山は犠牲となった町民の霊園として整備され、原野となった沿岸部が眼下に広がる。請戸小と大平山を合わせて見ることで、自然への畏怖と追悼の念を新たにするはずだ。

 課題は語り部の育成だ。町は震災遺構の職員確保に苦労した。ようやく三人を採用したものの語り部の配置は一般公開に間に合わず、意欲のある町民を育てていく方針という。請戸小周辺には東日本大震災・原子力災害伝承館が開館しており、他にも鎮魂の場「先人の丘」、復興海浜緑地(多目的広場)、復興祈念公園などの整備が進む。語り部らの人材確保に加えて、周辺にある震災関連施設を結ぶ視察ルート設定や総合的な案内所整備も求められる。

 被災地での住民帰還は頭打ちとなっており、各施設が語り部などの人材を個別に確保するのは難しくなろう。国、県、市町村、関係機関が連携して育て、必要に応じて派遣し合う仕組みをつくれないか。震災の記憶と教訓を後世に正しく伝えていくためにも検討を望む。(鞍田 炎)