東日本大震災・原発事故

家族思い漁師の道へ 福島の海で生きていく 避難生活経ていわきに移住【あすを見つめて】

2022/03/17 08:57

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「この海で漁師を続けていきたい」と話す今野さん
「この海で漁師を続けていきたい」と話す今野さん

 いわき市の久之浜漁港に早朝、漁を終えて底引き網漁船三誠丸が帰港した。船員の今野直也さん(35)は水揚げしたばかりのヒラメやアナゴなど「常磐もの」を構内の施設に次々と運び込む。東京電力福島第一原発事故に翻弄(ほんろう)されながらも、家族のため古里の海で漁師として働く道を歩み始めた。

 福島第一原発から九キロほど南にある富岡町本岡地区出身。原発設備などの保守点検を担う地元企業で働いていた。職場の一つだった福島第一原発で事故が起きた時、青森県の東通原発に出張中だった。埼玉県に避難した妻と生後三カ月の長男に再会できたのは、事故発生から一カ月後だった。

 古里を離れ、埼玉県でトラック運転手をしながら避難生活を続けた。次男の誕生を機にいわき市の仮設住宅に入り、二〇一七(平成二十九)年に市内大久町に家を建てた。発電所構内工事の人員管理などを担う派遣社員として働いたが、県内外への出張が多く、家族と過ごす時間を大切にしたいと考えるようになった。近場で仕事を探していた時、久之浜漁港の求人を見つけた。漁業とは無縁の生活だったが、元々釣り好きではあった。妻から「好きなことをやってみれば」と背中を押され、市漁協が今年度初めて実施した漁業体験会に参加して船乗りとなった。

 一緒に釣りに出掛ける次男(8つ)が最近、「漁師になりたい」と話すようになった。自分の背中を見てくれているのかとうれしく思う半面、本県漁業を取り巻く現状を考えると複雑な気持ちもある。市漁協の組合員数は震災前の二〇一〇年には四百五十六人いたが、昨年六月には二百九十五人まで減った。高齢化が進み、福島第一原発の処理水海洋放出も絡み、先行きが見通せない。

 漁業は自分にとって生活の糧であり、目の前の仕事に打ち込むだけと語る。「漁師は続けていきたいね。この海で。いつか自分の船を持ったりしてさ」。気負わず、家族のために選んだ道を進む。