

27日に大阪市のエディオンアリーナ大阪で行われた大相撲春場所の千秋楽で、初優勝を果たした福島市出身の若隆景関(27)=本名・大波渥さん、荒汐部屋=は強烈なおっつけを武器とした押し相撲に磨きを掛け、本県出身力士として50年ぶりの賜杯を手にした。小柄ながら鍛え上げた体で正攻法の戦いを挑む姿は、地震などで暗いムードが漂う県民を勇気づけた。自己最多の12勝は「一生懸命取った結果」。福島県民待望の大関昇進へ、足掛かりをつくった。
2敗で並んでいた高安関(32)が本割で敗れた。勝てば優勝となる結びの一番。大関正代関(29)を相手に得意の右四つとなった。だが、体格で上回る相手の圧力に上体が起き、寄りに土俵を割った。
約15分後の優勝決定戦。11日目の対戦では全勝の高安関に土を付けていた。「一生懸命取ろう」。心を落ち着かせた。
立ち合いで右に動いた。相手の左下手を切り、下から攻める。はたきに乗じて俵まで押し込まれた。そこで諦めない。両膝を曲げて踏ん張り、右に身をかわす。右上手をつかんで出し投げで転がした。「最後に何とか残せた感覚があった」。今場所光った足腰の強さが、最後に物を言った。
東の花道では、付け人を務める長兄の幕下若隆元(30)=本名・大波渡さん=が涙ぐんでいた。若隆景関は感情を抑え、視線が合うと「おかげさまで」と感謝を伝えた。
祖父の元小結若葉山の番付を超えて臨んだ今場所。左右のおっつけや、はず押しで前に出る取り口が際だった。優勝争いの重圧も乗り越えた。13日目の大関御嶽海関(29)との一番は「緊張した」。ただ、「負けて逆に少し楽になった」。荒汐部屋に初の栄冠をもたらした。86年前に新関脇で優勝した双葉山は祖父の師匠だ。
新型コロナウイルスの影響で、3年ぶりに観客を入れて実施された春場所。若隆景関は26日夜、荒汐親方(38)=元幕内蒼国来=を通して「見に来てほしい」と両親に伝えた。この日は母文子さん(56)や妻沙菜さんと子どもが見守った。「家族に支えてもらっている。良いところを見せられた」と胸をなで下ろした。
16日に起きた本県沖を震源とする最大震度6強の地震では、父政志さん(54)が経営する福島市の飲食店「ちゃんこ若葉山」でも多くの食器やグラスが割れた。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からは11年がたった。「復興が進んでいないところもある。自分ができることを精いっぱいやり、いい姿を届けたい」と古里への思いをにじませる。
三役として通算二場所目で初めて勝ち越し、一気に自己最多の12勝まで星を伸ばした。大関昇進の目安は直近三場所合計で33勝とされる。伊勢ケ浜審判部長(61)=元横綱旭富士=は「大関への土台を築きつつある」と評価する。「来場所からが大事だと思う」。いつものように表情を崩さず、前を見て言い切った。
■歴史的瞬間に歓喜 福島駅前でPV
福島市のJR福島駅西口駅前広場の大型ビジョン前で27日、パブリックビューイング(PV)が行われ、大波三兄弟福島後援会員や父政志さん(54)、大勢の市民らが若隆景関が初優勝を飾った歴史的瞬間を見守った。
「よっしゃ」「おめでとう」。高安関との優勝決定戦を制すると、集まった人たちは握手を交わしたりハイタッチをしたりして喜びを分かち合った。市内で料理店「ちゃんこ若葉山」を営む政志さんは「予想以上の結果で言葉が出てこない」と声を詰まらせた。「応援してくれる人のため、何としてでも勝ってほしい」との思いで優勝決定戦を見守った。相手に押し込まれても強靱(きょうじん)な足腰で土俵際に踏みとどまり、賜杯を手にした息子に「おめでとう。よく頑張った」とねぎらいの言葉を贈った。
後援会の渡辺博美会長(75)=福島商工会議所会頭=は「福島にとって最高の一日になった。兄弟同士で支え合った結果だ」と感無量の様子。「後援会として応援ツアーを計画している。来場所は直接声援を送りたい」と笑顔を見せた。
木幡浩福島市長は「新型コロナや相次ぐ災害など暗いニュースが続いていたが、市民に勇気と気力を与えてくれた」と喜んだ。
歓喜の輪は県内各地に広がった。本県出身力士として50年前に優勝した先代栃東の志賀駿男さん(77)の出身地の相馬市では、大相撲玉ノ井部屋の相馬市後援会が組織され、玉ノ井親方(元大関栃東)や力士が市内で実施している夏合宿を支えている。後援会長の立谷一郎さん(64)は「先代栃東に体形や足腰の強さがそっくり。地震直後だけに被災した多くの人が勇気をもらった」と感謝した。
喜多方市の主婦佐藤朋子さん(35)は自宅のテレビで観戦した。「どんな相手にも粘り強い取り組みで、勇気をもらった」と話し、「県勢初の横綱を目指して頑張ってほしい」とエールを送った。
県相撲連盟の宮田弘幸会長(68)は「『うまい相撲』から『強い相撲』に変わった。今後も安定した結果を残してほしい」と期待を寄せた。