大相撲 郷土力士の話題

【若隆景 賜杯への軌跡(中)】刺激し合う「三本の矢」 祖父と父追い、角界へ

2022/03/30 09:40

  • Facebookで共有
  • Twitterで共有
福島市の「ちゃんこ若葉山」の前で写真に収まる幼少期の若隆景関(左端)と(右から)父政志さん、若隆元、若元春関。力士の家系は3兄弟に受け継がれている
福島市の「ちゃんこ若葉山」の前で写真に収まる幼少期の若隆景関(左端)と(右から)父政志さん、若隆元、若元春関。力士の家系は3兄弟に受け継がれている
幼少期の(右から)若隆元、若隆景関、若元春関。兄2人の背中を追い、若隆景関は強くなった
幼少期の(右から)若隆元、若隆景関、若元春関。兄2人の背中を追い、若隆景関は強くなった
元小結若葉山の祖父と写真に収まる当時1歳の若隆景関(右)。祖父の地位を超え、さらなる高みを目指す
元小結若葉山の祖父と写真に収まる当時1歳の若隆景関(右)。祖父の地位を超え、さらなる高みを目指す

 祖父の元小結若葉山、青山貞雄さん(埼玉県出身)、父の大波政志さん(54)=元幕下若信夫=が元力士で、生まれ育った家は人気のちゃんこ店。大相撲春場所で初優勝した福島市出身の若隆景関(27)=本名・大波渥さん=ら「大波三兄弟」が、大相撲を目指したのは必然だった。

 若葉山が日本相撲協会を定年退職後に名古屋市で開業した「ちゃんこ若葉山」で、力士を引退していた政志さんは板前として働いた。若葉山の次女文子さん(56)と結婚。1998(平成10)年に福島市に同名の飲食店を構えた。自宅を兼ねた店には多くの相撲関係者が出入りした。政志さんは「兄弟のそばには、いつも相撲の存在があった」と笑う。

 若隆景関は6歳の時に他界した祖父との会話を覚えていない。だが実家には1歳当時の2ショット写真が残る。新関脇での優勝は「若葉山」のしこ名を考えた師匠の双葉山以来。若葉山も得意としていた「おっつけ」は若隆景関の代名詞になった。祖父が獲得できなかった技能賞も3度獲得。飛躍を遂げた孫は「祖父も優勝を喜んでくれると思う」と空を見上げる。

 飛躍には2人の兄の存在も大きい。長兄の幕下若隆元(30)=本名・大波渡さん=、次兄の平幕若元春関(28)=本名・大波港さん=と同時期に相撲を始めた。小中学生の頃は、全国大会で戦う2人の背中を追いかけた。

 学法福島高1年時に東日本大震災、東京電力福島第一原発事故が発生し、若元春関と共に、荒汐部屋に約1カ月避難した。心細い避難生活の中で、先に入門し、部屋で必死に汗を流す若隆元の存在は心強かった。今場所も付け人として頼りにし、安心感を与えてくれた。28日の記者会見では「入門前からずっと支えてもらったから今の自分がある」と謝意を示した。

 1学年上の若元春関とは、稽古で申し合いをする機会が多い。刺激し合って成長し、幕内の土俵を盛り上げている。新入幕や昇進などの節目で改名する力士もいる。祖父の番付を超えた若隆景関には「若葉山」の継承を勧める声もあるが、「長男の若隆元が付けるのがいい」と兄への感謝を忘れない。

 3兄弟のしこ名は「三本の矢」の故事で知られる戦国武将、毛利元就の3人の息子にちなむ。史上初となる「3兄弟同時関取」、そして大関昇進へ-。古里の期待は膨らむ。