
福島県富岡町夜の森地区出身の介護職本田修一さん(59)は東京電力福島第一原発事故で、桜並木沿いに建てた新築の自宅を残し、避難を余儀なくされた。あれから11年。自宅は帰還困難区域内にあるが、来春の避難指示解除に向けて今年1月に立ち入り規制は緩和された。9、10の両日の「桜まつり」でも12年ぶりに桜のトンネルが観光客でにぎわう。春を迎え、帰還への思いがふくらんでいる。
生まれ育った実家も夜の森の桜並木沿いにある。ただ、子ども時代は「花より団子」で、実家そばで開かれていた桜まつりも「とにかく人が多くてうるさかった」。親からもらった小銭を握りしめ、出店を巡るのが唯一の楽しみだった。
皮肉にも避難生活の中で古里への思いが大きくなった。原発事故直後はいわき市に、2013(平成25)年の冬からは広野町に家を借りて避難を続けているが、桜の季節が訪れると子どもの頃はなんとも思わなかった夜の森の風景を思い出すようになった。「もうあそこには帰れないだろう」。そう考え始めた矢先、帰還に向けて集中的な除染やインフラ整備が行われる特定復興再生拠点区域(復興拠点)の中に自宅も組み込まれたと知った。
夜の森の自宅は2009年に建てた。家族で花見ができるように広い庭と手作りのいろりを置いたものの、数回しか使えていない。「本当はここで暮らしたい」と話すが、帰還をためらう理由もある。かつての地域コミュニティーは失われ、地域をどう再生させるのか「町のビジョンが見えない」とつぶやく。
ただ、今は少しでも前向きな気持ちになれるよう自宅の手入れを続ける。条件さえ整えば準備宿泊にも応募したいという。
今年は桜が散らないうちに、春の夜の森を妻と一緒に巡る予定だ。「手をつなぐって訳じゃないけど、久しぶりにあの桜並木を2人で歩いてみようかな」。