
福島県川俣町山木屋の冬の風物詩・田んぼリンクを長年運営してきた川俣スケートクラブが今年秋、会員の高齢化などで解散したのを受け、若手移住者や住民有志が後継団体を発足させた。地元産品の販売やイベント開催に取り組み、東京電力福島第1原発事故からの復興と、にぎわい創出の拠点にする。「地域の宝を守り継ぎ、多くの人を呼び込みたい」。多くの国体選手を輩出してきた名物リンクの新たな歴史が始まる。
後継団体は「かわまた田んぼリンククラブ」で、若者ら10人程度が運営に当たる。スケート場名は従来の絹の里やまきやスケートリンクから、かわまた田んぼリンクに改めた。シーズン中は土、日曜日を中心に地元農産物や加工品を販売する。リレーや綱引きを楽しむ氷上運動会、ファッションショーなど世代を問わず交流できる催しの開催を目指す。
リンクは1984(昭和59)年2月にオープンした。家族連れでスケートを楽しめる場として町内外の人でにぎわい、原発事故前は1シーズン平均1500人程度が利用。スピードスケートの競技力強化にも貢献し、これまでに国体選手53人が誕生した。原発事故を経て2016年に復活したものの、昨季の利用者数は約430人に落ち込んでいた。
リンクの面積は約50㌃で、厳冬期の製氷・除雪作業は重労働だ。旧川俣スケートクラブは近年、東電などの支援を受けながら営業を続けていた。ただ、役員の高齢化や担い手不足に伴い継続は難しいと判断。リンク閉鎖が現実味を帯びる中、若者らが立ち上がった。
後継団体の代表には6月に山木屋に移住した福島大食農学類4年の牛田ジョシュア昭彦さん(23)=愛知県豊明市出身=、千葉県と山木屋で二地域居住する筑波大大学院修士1年の佐々木大記さん(25)=名古屋市出身=が就いた。町地域おこし協力隊員のスタルジンスカヤ・ナスタッシャさん(24)や、地元住民が協力する。
旧川俣スケートクラブ役員らの指導を受け、強度があり安全なリンクづくりを進める。牛田さんと佐々木さんは「山木屋の歴史が詰まったリンクを、さらに愛される場所にしていく」と意気込む。
旧川俣スケートクラブの会長を務めた大内秀一さん(72)は「『山木屋から国体選手を』という目標を達成し、一定の役割は果たせた」と振り返る。「新たな形で再出発し、地域を盛り上げてほしい」と願う。
かわまた田んぼリンクの今季営業開始は、来年1月14日を予定している。時間は午前9時から午後3時まで。土曜日のみ午後8時まで営業する。利用料金は現在、調整している。