どうでもよくないもの(1月8日)

2023/01/08 09:37

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 なかなか解決の道が見えないもどかしさをいくつも抱えたまま、新しい年が明けた。今年こそは良い兆しを、そして安らかな世界をと誰もが心から祈っている。

 曖昧な状況の中で、思い切って行動することがためらわれ、判断や選択ができないままの保留事項が少しずつ増えていく。「なんとかしたい」と願いながらも良い方策が見つからず、ぼんやりしたヴィジョンの時間が重なることにも、だんだん慣れてしまったような気がする。

 こんな時は、せめて身の回りの整理からと、些[さ]細[さい]な私事で恐縮なのだが、年末年始を利用して、例年になく大々的な片付けをやってみた。書類、書籍、家具、雑貨と、いざ取り掛かるとその作業に相当な時間とエネルギーを要する。けれど、自分の判断だけで一つ一つ選択できる清[すが]々[すが]しさを実感できたことは、単にものが片付くというだけでなく、何より精神的な効果がかなり大きい。

 演出家という職業柄、日々さまざまな判断や選択に向き合う。「演出家とはどういうことをする仕事か?」と尋ねられたら「演劇の創作現場で無数の選択を重ねる担当」と答えるほどだ。スタッフと俳優から投げかけられる問いに答えて指示を出す数は、一日に数十では収まらない日もある。

 演出の場合は、目指すべき最終的な完成イメージが頭の中にあるので、速やかに選択も判断もできる。けれど、片付けでは手が止まることが度々起こってしまう。必要か不要か、つまりは自分にとっての意味や価値に悩む。その原因はおそらく、自分のヴィジョンが見えていないからに違いない。

 そこで単純で素朴な目安に立ち返り、自分にとって“どうでもいいもの”か“どうでもよくないもの”かを考えてみる。“どうでもいいもの”は文字通り「おそらく自分にはご縁がうすいもの、手放してもかまわないと思えるもの」であり、“どうでもよくないもの”は「自分にとっては大切で重要な、絶対に手放してはいけないもの」ということになる。この基準に照らすことで「一体自分は何がしたいのか」を自問自答する。もちろん、判断に悩ましいものを無理に廃棄することはなく、“どうでもよくないもの”の候補として、あくまで前向きな理由で保留にしておく。結果、常識や一般論で手元にあったものは思い切って捨てられ、シワの寄った小さな紙片が大切に残されたりする。

 この問いかけを繰り返しながら物の分別をするのはかなり面倒な作業なのだが、どこに境界線を引くのかを自分自身に課しながらこれを乗り切ると、フラフラしていた心の芯棒が多少はしっかりする気がする。

 日常の生活の中で膨大な情報量に埋もれながら、いかに“どうでもいいこと”ばかりに囚[とら]われていたか、そして宙ぶらりんの生活の中で、選択と判断の勘が鈍っていたかも思い知らされる。

 今年こそ“どうでもよくないもの”をしっかりと選択し判断して一年を送りたいと思う。(宮田慶子 白河文化交流館コミネス館長)