年末恒例のテレビの音楽番組で「habit」という楽曲が大賞を受賞した。動画再生は1億回を越えたそうで、昨年を代表するヒット曲であることは間違いない。
ハビット(habit)は、直訳すれば癖、習慣、傾向、性質などとなるが、この曲ではそれらを単純化して分類する若者文化を揶[や]揄[ゆ]する歌詞も話題となった。ただそれは、単純な善悪の二元論や“レッテル張り”などの現代社会の悪癖に対する批判でもあるのだろう。
ハビットの語源でもあるハビトゥス(habitus)は、フランスの著名な社会学者ピエール・ブルデューの理論の鍵概念として知られる。端的には傾向、性向だが、凡[およ]そ「過去の経験の中で 形成された性向の体系であり、行為や認識を方向づける構造」とされる。つまりポイントは、私たちの性格や思考、趣味嗜[し]好[こう]や価値判断は先天的なものではなく、人間関係や相互行為の中で社会的・歴史的に構築され身体化したもの、という点だ。私たちの日々行う選択や日常的な行為は、無意識的かつ反射的にハビトゥスに規定され、制御されている、ということになる。
難解で知られるブルデュー社会学は階級や社会階層など欧州文化に根差しているが、ハビトゥスの一つである教養、学歴、文化慣習や美的性向などの「文化資本」の多くが親から相続され再生産されるという指摘など、「貧困の連鎖」や「親ガチャ」が社会問題化する日本でも考究すべき点は多い。とくに、ハビトゥスを“身体化された必然”としている点は興味深い。それは、社会/人間形成におけるリアルな生活体験の重要性に通じると考えられるからだ。
コロナ禍はリアルな体験の飢餓をもたらした。その点で、DX一辺倒の趨[すう]勢[せい]に一抹の不安を覚えるが、一方でこれは地方創生の鍵にもなりうる。無論、大都市の方が圧倒的に大量で刺激的な選択肢に溢[あふ]れているが、ハビトゥスの形成や再構築のための身の丈に合った豊かな体験の環境は、地方にこそ可能性があるのではないか。
ハビトゥスは、それが構築されるのが主に家庭と学校であるため、むしろ教育分野で活用される概念でもある。人間の成長、社会化の過程で様々な環境変化が起こるものの、「三つ子の魂百まで」よろしく、若年期の体験がより深いレベルのいわばハビトゥスの下部構造となることは疑いない。
昨年いわきニュータウン分譲開始四〇年を記念して、団地に立地する2つの中学校と住民団体の協働による“ニュータウンのまちづくりを考える”イベントが開催された。中学生達は、伝統的なふるさとの原風景とは異なるが、紛れもない彼らの故郷に初めて向き合い、多様な人々と関わり、楽しみながら意欲的にまちの未来を考えた。こうしたリアルな原体験の積み重ねと拡[ひろ]がりが、まちづくりの源泉となる「社会関係資本」の形成につながることを期待したい。(福迫昌之、東日本国際大学副学長)