

暖かさが増し、例年よりサクラの開花が早いとみられている。福島県いわき市小川町の災害公営住宅に暮らす但野勝郎さん(78)は、花見客でにぎわった富岡町の夜の森地区を再び花でいっぱいにしたいと夢を持つ。車で1時間半ほどかけて町に通い、JR夜ノ森駅周辺のツツジの手入れや草刈りに励んでいる。東京電力福島第1原発事故の帰還困難区域のうち、特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が4月1日に解除されるのに合わせ、生まれ育った土地に戻る。「先人が築いてきたサクラやツツジを後世に引き継いでいくのが自分の使命。残りの人生を夜の森の再生に尽くす」。新たな一歩を踏み出す。
但野さんが美化活動に励む駅東口の待合室の北側に、祖父の故・但野芳蔵の顕彰碑がある。明治時代、原野を開拓し、現在の夜の森地区の礎を築いた。大正時代に入り、木材の輸送拠点と地域活性化を目的に、国に駅設置を申請した。認可を受け、私財を投じて1921(大正10)年に夜ノ森駅をつくった。以来、住民らがツツジやサクラを植え続けてきた。
駅のホーム両面を彩るツツジは観光客の目を楽しませ、地区の桜並木は町のシンボルになった。震災と原発事故前まで観光名所としてだけでなく、優良な住宅地であった。商業施設も並び、にぎわいの中心だった。
花に囲まれて生活してきた但野さんの生活は12年前に一変した。郡山市など8カ所で避難生活を強いられた。駅近くにあった自宅はリフォームしたばかりだったが、避難中に野生動物に荒らされた。
かつて特急列車の乗車客を歓迎した駅周辺にあった約6千株のツツジは、除染で枝や葉が伐採された。その後の手入れ不足なども重なり、枯れたり、弱ったりしている。
但野さんはJRにツツジを保全するよう要望を繰り返してきたが、思うようにいっていないと憤る。早く対処しないと、長い間、地域住民が守り育ててきた宝が失われしまうと、自ら動き出した。
いわき市から富岡町に通い美化活動をしながら、自宅跡の敷地で、サツキやアジサイを育て駅前に移植する考えだ。現在は町と一緒にパンジーを植える準備を進めている。
原発事故前、町内には約1万6千人が住んでいた。現在の居住人口は約2千人にとどまる。避難解除に合わせて町営住宅に引っ越す。再び地域住民らと力を合わせて、古里を取り戻したい―。祖父が102年前に駅開設を記念して植えた大きなイチョウの木に誓う。