高等教育でさえもと言うべきなのか、高等教育だからこそと考えるべきなのか、入学して間もなく短大に来なくなる学生がいる。私が大学生の頃は、四年制大学だと8年間は在籍できるからと、アルバイトに精を出したり、海外を放浪したりと、「モラトリアム」や「元気に不登校」している友人が何人もいたが、今の様相は少し異なる。
短大に気持ちは行きたいのに、身体が動かない、でも、その身体の反応こそ、心の深いところにある気持ちを表している。そうした学生と面談したときに、よく話題になるのが「いじめ」の経験だ。高等教育に至るまでのどこかの教育課程で受けた心の傷がうずいている。
「いじめ」に限らず、過去の経験の影響を受けていない人はいない。その経験が今の自分を決定付けるかどうかが重要だ。また、私たちは、経験しただけでは力にならず、それを「ことば」にすることによって、それを乗り越えていく力、「心の強さ」レジリエンス(resilience)を持つ。
「心の強さ」については、欧米の心理学者がかなり前からレジリエンスの語を用いて研究の対象としている。レジリエンスとは、物理学では弾性、心理学ではしばしば回復力と訳されている。身体の病気に対する抵抗力や回復力があって健康が維持されていくのと同じように、心の混乱や障害に対しても抵抗力と回復力が働いている。このような力、傾向が「心の強さ」と呼ばれ、心理学の専門用語では回復力とかあるいは原語でレジリエンスと言う。
さらに、子どもの場合は、傷を受けてからの「回復力や立ち直り力」にとどまらず、「外部の敵やストレッサーを(心に傷を受けない段階で)はね返し、危険を恐れず立ち向かう」子ども特有の積極的な姿勢をも含むものとして捉え「勇気や正義感」もその一部ではないかと考える研究者もいる。
「レジリエンス」の概念が現れるより以前に「回復力」に注目した研究者は精神分析家のエリクソンだ。エリクソンの理論を応用して「自我に内在する回復力」が形成されるための条件として、次の四つが挙げられる。
①乳幼児期の基礎的信頼感の獲得。
②児童期から青年期にかけての有能感の獲得。
③青年期の心理的離乳。
④アイデンティティーによる使命感。
「青年期の心理的離乳」を果たそうと自分が選択した、その短大に行けないという、まさに「既存の秩序と均衡が崩れるといったつらい時期」をとおっている学生。その現実を優先して、頭の中にある理想を手放し「これが私なのだ」と自分で自分を承認できる自分「アイデンティティー」を確立しようと、苦痛と失望感のまっただ中にいる。そのつらい時期をとおってのみ「強い心」レジリエンスを持ち、アイデンティティーを確立するという成長は実現する。
(西内みなみ 桜の聖母短期大学学長)