
東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域のうち、福島県大熊町の特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除から30日で1年となる。徐々に帰還者や移住者が増えつつあるが、居住者は1日現在で62世帯90人と、まだ少ないのが現状だ。元町職員の吉田貞則さん(72)は昨年12月に自宅を再建。避難先との2地域居住を選択する町民も多い中、孫ら家族6人と帰還した。町の発展を願い、古里での日々を過ごす。
野上地区に建て直した自宅は、真新しい木の香りが広がる。草木の手入れをし、穏やかな毎日を送る。同居する孫の彩乃さん(8)、幸永(ゆきと)さん(6)は町内の義務教育施設「学び舎(や) ゆめの森」に通う。「子どもの面倒を見るのも楽しい」と笑う。
原発事故による避難生活は、発生から約1カ月後に会津若松市に落ち着いた。市内に設けられた町役場出張所で働き、市民との交流も生まれた。それでも、農家の長男として生まれ、温暖な気候や豊かな自然に囲まれて育った「大熊への思い」は消えなかった。
先祖が100年近く守り抜いてきたかつての自宅は動物に荒らされた。一時帰宅のたびに「再び住むのは難しい」という気持ちが強くなり、再建を決めた。妻や南相馬市に住んでいた長男夫婦、東京都に居住していた次男も「大熊に戻りたい」と一緒に帰還した。
古里で再び暮らせることを喜びつつも、心配事は多い。復興拠点内にスーパーや病院はまだない。「自分や家族が体調を崩したら不安だ」と打ち明ける。「一刻も早く町が発展するよう、国や県が取り組みを進めてほしい」と求める。
自宅のすぐ裏は復興拠点から外れ、コメを育てていた田んぼは手付かずのままだ。具体的な避難指示解除時期は見通せないが「自分の食べるコメくらいは作りたい」と未来を思い描く。自宅敷地の畑には感謝を込め、避難していた会津若松市の花・タチアオイを植えた。「花の手入れをしながら営農再開の日を待つよ」。元の暮らしが少しでも早く戻るのを待ち望む。