もはや災後では(12月4日)

2024/12/04 09:14

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 真意が誤解されがちなフレーズがある。〈もはや『戦後』ではない〉はその一つ。終戦から11年たった1956(昭和31)年の経済白書に記された。貧困の苦しみからやっと抜け出し、豊かな社会の足音が近づくとの宣言に聞こえるが…▼実は、経済失速への警告だった。敗戦という谷が深かった分、はい上がる速度が速かったとの認識がつづられている。消費や投資の意欲は明らかに減少しているとして、〈いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた〉と危機感を表明した。言葉の意味が反転したのは、予想外にその後も経済成長が続いたからとされる▼「もはや災後ではない」とでも言わんばかりだ。有識者が事業効果を検証する政府の行政事業レビューは、福島再生加速化交付金を見直したり、企業立地補助事業の終了時期を検討したり、復興の出口対策を提案した。災禍から13年余りが経過し、復興が一定程度進んだとの考えが背景にあるという。知事や浜通りの首長は支援の継続を強く求める▼被災地に足を運べば分かる。課題は地域によって異なる。問題が一つ解決すれば、また別の難問が生まれる。「災後ではない」を都合よく曲解されては困る。<2024・12・4>