原発事故の発生から14年を前に、一度は諦めた古里への帰還の道筋がようやく見え始めた―。福島県南相馬市小高区の帰還困難区域に住んでいた佐山梅雄さん(67)は、帰還に向けた環境整備が進む復興再生計画の策定を受け、安堵(あんど)の表情を浮かべる。
小高区金谷地区の山あいにある自宅は2011(平成23)年3月の原発事故に伴い避難指示が出た。翌年4月の避難区域再編により南相馬市内で唯一の帰還困難区域の世帯となった。自宅周辺の空間放射線量は当時、高い所では毎時27マイクロシーベルトを超えていた。「もう、ここで生活はできない」と絶望感に襲われた。
同市鹿島区の仮設住宅を経て、原町区の中古住宅に引っ越した。5年前には原発事故まで同居し、郡山市に避難していた母ヒサさんを呼び寄せた。「自分以上に戻りたがっていた」というヒサさんは2020(令和2)年6月、思いを遂げずに83歳で亡くなった。
特定帰還居住区域の設定を目指す他町村の動きを知り、「戻れるのでは」と希望を見いだした。「自由だった山の暮らしが自分には合っている。避難生活にストレスを感じていた」という。帰還の意向を市に伝えたところ、復興再生計画の作成に動いてくれた。
昨年11月には自宅周辺の線量調査が行われたが、除染などの具体的な計画が固まるのはこれからだ。実際に戻れるのがいつになるかは分からないが、「母がかなわなかった帰還を、一日も早く果たしたい」と切望している。