
東日本大震災で生じた大規模な地滑りで住民13人が犠牲になった福島県白河市葉ノ木平地区。崩れた場所は整地され、避難場所として活用できる「防災あずまや」などを備えた復興記念公園となった。渋谷礼子さん(65)は、夫武利さん=当時(52)=と義父丈夫さん=当時(82)=を失った。人情味にあふれ、誰からも慕われた夫。正直で曲がったことが嫌いだった義父。脳裏には常に2人の姿が浮かぶ。「私が渋谷家を守り続けるからね」。最愛の家族に誓い、仏壇に手を合わせる。
武利さんとは共通の知人の結婚式で出会った。温厚で面倒見が良く、頼りがいのある人だった。3人の子宝に恵まれた。子煩悩で、家族との思い出をアルバムにまとめるなどまめな人だった。新婚旅行で訪れた九州への航空券や手書きの行程表を大切に残していた。「老後にもう一度九州を旅しよう」と約束していた。
丈夫さんは地元企業に長く勤めた。責任感が強く真面目な人柄で誰にでも分け隔てなく接した。近所付き合いが良く、情に厚かった。家庭でも常に笑顔が絶えない人だった。孫の成長を見守るのが何よりの楽しみだった。家族だんらんの時間が忘れられない。
■残したアルバム心の支え
震災当日、礼子さんは看護助手として、市内の病院で勤務中だった。地震発生時、仕事の夜勤明けだった武利さんは自宅に、丈夫さんは自宅近くを散歩していた。近所の人から「渋谷さんの家も大変なことになっている」と知らせを受けた。「きっと大丈夫」。高鳴る鼓動を必死に押さえながら自宅に向かった。
慣れ親しんだ景色は一変していた。2人の無事を祈りながら、避難先の体育館に身を寄せた。2人はなかなか見つからない。5日後に夫、6日後に義父の遺体が見つかった。
震災の約1カ月後、重機で自宅付近を掘り起こしてもらった。泥の中から土まみれのアルバムが見つかった。夫が小まめに整理していたアルバムだ。家族の思い出が形として残っていた。「奇跡でしかない。形見にしよう」。静かに胸に当てた。
3カ月ほど職場に復帰できず、大好きだった料理も作れなかった。再び立ち上がれたのは、武利さんとの約束だ。「子どもたちに迷惑はかけられない。何があっても60歳までは働こう」。当時52歳。約束を守るという責任感が自身を奮い立たせ、60歳まで勤め上げた。2013(平成25)年に初孫が生まれたことも力になった。「私が一人で悲しんでいるのを見かねて、夫が与えてくれた宝物なのかもしれない」
かけがえのない家族を失った悲しみは消えない。だが、アルバムのページをめくり続けることで、少しずつ心の傷が癒えるようだった。現在、長男夫婦と暮らす。孫は4人になり、14年の歳月を感じる。「夫と義父に、孫とひ孫を見せる」という望みはかなわなかったが、天国から見守ってくれていると信じている。「大切な宝物を守ることが私の使命だよね。あなた、お父さん」。遺影に優しく語りかけた。