やさしい雨(7月27日)

2025/07/27 09:12

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 地球温暖化の影響なのか、急にバケツをひっくり返したような雨が降るのが、最近の日本の日常になってしまった。浸水、洪水、突風と、いきなりやってくる災害に肝を冷やす。「昔はこんな乱暴な天候はなかった」とつい愚痴めいたことを言いたくもなる。

 大正から昭和に活躍した劇作家・岸田國士の戯曲に「驟雨[しゅうう]」という題名の小品がある。

 「驟雨」とは、「急に降ってきて、すぐにやんでしまう雨」のことをいう。「にわか雨」「通り雨」などとほぼ同じ意味だが、昨今の“ゲリラ豪雨”のような激しい降りではなく、けれど、しばし思念や行動を止めて佇[たたず]んでしまうような雨のことを言う。

 この戯曲の登場人物は主に3人。夫の帰宅を待ち受ける、結婚して数年と思われる妻のところに、突然、新婚旅行を切り上げて帰ってきたという妻の妹が来訪する。聞けば旅行先のすれ違いが重なり、無理解で横暴な夫とは、もはや自分としては別れてしまいたいと訴える。さしずめ、かつて騒がれた“成田離婚”の大正時代版とも言える。

 興奮した妹をなだめるうちに、帰宅した夫が議論に加わるが、夫は男同士とばかり妹の夫の肩を持つ。そのうち、姉夫婦の、お互いに言い出せずに蟠[わだかま]っていた行き違いが露見していき、妹をなだめるどころではなくなり、言葉のやり取りは加熱していく。やがて、意を決した妹が退出しようとすると、急に雨が降ってきて、思わず3人で空を見上げる…というものがたりである。

 1926年11月、大正時代の最後に発表されたこの戯曲には、日常の一コマを描く中に、男女の立場や考え方の違い、時代の移り変わり、理想と現実の間に揺れる矛盾と葛藤などが見事に織り込まれている。また同時に、今もなお解決しきれない問題をとらえた普遍性と先見性も持っている。まさしく秀作中の秀作として、100年後の現代にも生き続けている戯曲である。

 岸田氏はエリート軍人になる進路を覆して帝大仏文科に入学、さらにはフランスに渡り演劇を学び帰国。そして、それまでの日本演劇界とは一線を画した、“言葉の力”と“人間の内面”を描いた作品を発表し続けた。岸田氏の登場によって日本の演劇は、歌舞伎と翻訳劇にとらわれていた“近代劇”から、自分たちの生活や社会を描く“現代劇”へ移行したと言われる。

 この戯曲を読むたびに、「驟雨」という命名の見事さに感服する。

 高ぶる感情の飽和状態に文字通り水を差し、ふと我に返らせるような雨とは、なんと優しく豊かなのだろうか。そしてまた「驟雨」の後には、再び雲間から陽[ひ]の光が差して、もう一度やり直せる希望や未来を予感させる。

 どうか、荒々しい“ゲリラ豪雨”ばかりではなく、時には心にしみいるような“驟雨”がやってきてほしいと、空を見上げるこの頃である。

(宮田慶子 白河文化交流館コミネス館長)