サッカー先駆者に光 高倉麻子さん(福島出身)殿堂入り式典 「一生懸命やってきた」 W杯や五輪 世界への扉開く

2025/09/17 12:30

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式典であいさつする高倉さん
式典であいさつする高倉さん
1994(平成6)年10月の広島アジア大会中国戦で司令塔としてプレーする高倉さん。現役時代は日の丸を背負い、アトランタ五輪、女子W杯などで活躍した
1994(平成6)年10月の広島アジア大会中国戦で司令塔としてプレーする高倉さん。現役時代は日の丸を背負い、アトランタ五輪、女子W杯などで活躍した

 福島市でボールを蹴り始め、日本女子サッカーを選手、指導者として黎明[れいめい]から発展へと導いた先駆者に光が当たった。東京都内で16日に行われた日本サッカー協会の殿堂掲額式典。名司令塔として五輪やW杯で戦い、引退後は女性で初めて女子代表「なでしこジャパン」を率いた高倉麻子さん(57)=福島市出身=が功労者の列に加わった。「私たちの時代に光を当てていただいてありがたい」と万感の思いを口にした。


 原点は女子のプレー環境が限られる中、男子に交じりボールを追った古里での少女時代だ。10歳の頃、草野球仲間の男の子に連れられ、岡山スポ少でサッカーを始めた。競技自体の人気も現在とは比較にならない時代。「女の子がサッカーをやるなんて…」。周囲から奇異の目で見られたが、少年団を指導していた故鈴木勝也さんは快く受け入れてくれた。

 チーム内に女子は自分だけ。それでも優れた運動能力を生かし、男子に負けじと成長を遂げていった。

 福島三中に進むと部活動で競技を続けることに限界を感じ、家族の協力を得て月1、2回、都内のチームに通って力を磨いた。福島成蹊女高(現福島成蹊高)時代はつてを頼り、福島工高で男子と汗を流した。

 和光大卒業後、1985(昭和60)年から読売ベレーザ(現日テレ東京V)で活動。質の高いプレーで攻守に存在感を示し、日本女子サッカーリーグ4連覇に貢献した。1989年以降の10年間にベストイレブンに7回選ばれ、1992、93年は2年連続で最優秀選手賞を受賞した。

 10代半ばで日の丸も背負った。1983年に15歳で女子代表に初選出されると翌年には国際Aマッチにデビュー。第1回女子世界選手権(現女子ワールドカップ、W杯)、女子サッカーが初めて採用された1996(平成8)年アトランタ五輪でプレーし、79試合で29得点を挙げた。引退後は指導者に転じ、2016年からは「なでしこジャパン」監督を務めた。

 女性個人の殿堂入りは綾部美知枝さん以来で、選手としてたたえられるのは今回の高倉さんら4人が初めて。「やれることは一生懸命やってきた」と歩みを振り返った。

 女子サッカーの環境は飛躍的に改善し、遠藤純や千葉玲海菜ら県内からも世界に羽ばたく後輩が相次ぐ。「強みや夢を大きく持つことが大事。自分を信じて努力し続けてほしい」と同じ道を目指す少女たちに願いを託し、新たなスターの誕生を願った。

   ◇    ◇

 高倉さんと共に殿堂入りしたのは元女子代表監督の故鈴木保さんといずれも元女子代表の半田悦子さん(60)、野田朱美さん(55)、木岡二葉さん(59)、元日本代表DF井原正巳さん(57)。


■女子サッカー盛り上げて 県内関係者たたえる

 高倉さんの長年の歩みを知る人々からは殿堂入りへの賛辞が上がった。同郷で旧知の仲という日本サッカー協会技術委員長の影山雅永さん(58)=いわき市出身=は勇姿を会場で見守った。「女子サッカーが『何もない』時代から頑張ってきた。引き続き、女子サッカーを盛り上げてほしい」と期待した。

 岡山小、福島三中で同級生だった福島市の会社員渡辺康浩さん(57)は小学校時代に一緒に草野球などで遊んだ。スポーツ万能だった姿が印象が残っている。「上手になりたい思いが強かったのだろう。誇りに思う」とたたえた。高倉さんの1学年上で福島工高サッカー部で一緒に練習した同市の会社社長古川幸治さん(57)は「好きだから続けられたと思う。後進の育成に努め、地元に還元してほしい」と願う。

 先人の背中を追う現役選手も刺激を受けている。ふたば未来高2年の望木智[さと]凪[な]さん(16)=福島市出身=は「偉大な先輩の活躍が広く知られるのはうれしい」と喜ぶ。現役時代を知らないが、代表を率いた勇姿は覚えている。「殿堂入りを機に福島の女子サッカーをさらに活気づけたい」と話した。