月を愛[め]でる季節となった。仏語の太陽は男性名詞だが、月は女性名詞。静寂の闇夜を照らす姿は神秘的だ。満ち欠けを繰り返すから、生命再生の力強い象徴でもある▼「月見」は秋の収穫への感謝を込めて、団子や野菜・果実を供える。珍客が現れる場所もあるようだ。いわき市の遠野、田人両地区や隣接する東白川郡の一部には、「お月見泥棒」の風習が残る。十五夜の夜、子どもが近所の家々を巡り、お供え物をいただく。かつて、その名の通り盗むように持ち去った。今では「お月見泥棒です」と、声をかけながら回っていくのだとか▼何とも、愛らしいからだろう。「被害」に遭った家は縁起が良いと喜ぶ。地方は年々、若者が減り、寂しさが増す。普段、話す機会の少ない相手と触れ合い、大人は意識を高める。「身の周りの仲間と一緒に、次の世代を育てなければ」。小さな世代は長く伝わる文化に触れて、古里への愛着を深める▼全国で行われていたというが、東北地方ではほとんど消えた。秋に巡りくる貴重な習わしには、地域をよみがえらせる力がきっと眠っている。欠けても再び満ちる―。一筋の月光がしっかりと、里山の小路を歩む幼[おさな]児[ご]を照らす。<2025・9・25>