
ゆるっと可愛いこの赤いパンダの顔、誰もが一度は見たことがあるはず。今年で誕生20周年を迎えたこのコの名前は「アジパンダ(R)」(以下アジパンダ)。そう、うま味調味料『味の素(R)』(以下『味の素』)の卓上瓶に描かれたキャラクターだ。116年も前に発売された『味の素』は、“一家に1本”と親しまれた超ロングセラー商品。しかしその歴史は決して順風満帆ではなく、今なおSNSでは議論が巻き起きることも。アジパンダを誕生させるに至った、試行錯誤の道のりとは。
【画像】今とは全然違う…現在と過去の「アジパンダ(R)」
■今年20周年のキャラクター・アジパンダが背負ったミッションとは?
1909年創業、幅広い食品事業を展開する味の素株式会社。その看板商品であるうま味調味料『味の素』の卓上瓶に描かれている赤いパンダのキャラクター・アジパンダが、今年で誕生20周年を迎えた。
ぽちゃっとしたフォルムがなんともゆる可愛いアジパンダ。ところがデビュー当時には「お子さんを泣かせてしまったこともありました…」と、かつて店頭イベントで着ぐるみに入っていたこともある宮坂文浩さん(食品事業本部 コンシューマーフーズ事業部 シーズニンググループマネージャー)は振り返る。
「初代アジパンダは毛がフサフサで、かなり“獣っぽさ”が強かったんです。そこから改良を重ねてどんどん可愛くなり、5代目となった現在では国内はもとより海外でも活躍。特にタイでは人気で、アジパンダをフィーチャーしたイベントも行われているんですよ」(宮坂さん)
アジパンダは「若い世代にもっと『味の素』の良さを知ってほしい」というミッションを背負って生まれたキャラクターだった。
「『味の素』が発売100周年を間近に控えていた当時は、シニア層に定番の調味料として定着している一方で、若者層には『使ったことがない』『使い方がわからない』という方が増えていました。そこで親しみやすいキャラクターを採用したほか、気軽に『味の素』を使っていただけるアイデアをCMで展開しました。中でも小栗旬さんを起用した『卵かけご飯に味の素』CM(2008年~2012年)は大きな話題に。折からのTKGブームも相まって、売上アップにも繋がりました」
さらに若い世代の自炊が活発化したコロナ以降は、インフルエンサーによるレシピ発信が認知拡大に貢献。中でもアイコニックな存在が、『味の素』の愛用を公言している料理研究家・リュウジだ。
「今でこそうま味調味料を使う料理研究家は増えていますが、リュウジさんは何度も炎上しながら粘り強く『味の素』活用レシピを発信してくださいました。料理研究家としては、かなり覚悟が必要なことだったと思います」
そもそも『味の素』は116年にわたって市販されてきたロングセラー商品であり、また砂糖や塩と同じ“ただの調味料”である。にも関わらず、その使用を巡って炎上が起こるほどこじれてしまったのはなぜか。『味の素』を巡るフェイクニュースの歴史を改めて紐解いてみた。
ネガティブなイメージを形成している要素として推察されるのが、現在は使われなくなった“化学調味料”という言葉だ。この名称が初めて使われたのは、1960年代半ばのNHK『きょうの料理』でのこと。公共放送であるNHKでは商品名を出すことができないため、『味の素』の代わりに提案されたのが“化学調味料”という名称だったという。
「当時の日本は戦後の復興期で、化学は発展の象徴でした。化学調味料という用語もポジティブな響きをまとって放送に乗って広まっていきました。現・日本うま味調味料協会も、当時みずから日本化学調味料協会と名乗っていました」(コーポレート本部 グローバルコミュニケーション部 サイエンスグループ シニアマネージャー・武内茂之さん/以下同)
■化学調味料という名称の功罪、アメリカの“フェイクニュース”も影響
ところが1960年代が終わりに近づく頃に日本各地で公害病が社会問題化すると、一転して「化学=体に危険」という不穏なイメージが付きまとい始める。さらに追い討ちをかけたのが、同じ時期にアメリカで勃発した“中華料理店症候群”だ。
「とあるアメリカの医師が、中華料理を食べた後に動悸、首のしびれなどの症状を訴える人が続出したとして、権威ある学術誌に報告。その原因のひとつとして疑われたのが、うま味調味料の主成分であるグルタミン酸ナトリウム(MSG)でした。その後、数多くの試験や研究によって両者の因果関係は完全に否定されていますが、今なおアメリカではパッケージに“NO-MSG”と表示する食品も少なくありません」
1960年代のアメリカで中華料理店症候群の“フェイクニュース”が広まったのは、この時期に急激に増えた東アジア人移民への差別感情や、ベストセラー本『沈黙の春』に端を発する科学批判の高まりなど複合的な要因が指摘されている。いずれにせよ“化学調味料”を巡る誤解はやがて日本にも上陸し、生活者に混乱を与えた。
「業界で議論を重ねた結果、1985年には団体名を『日本うま味調味料協会』に改めました。“化学調味料”という響きが連想させる誤ったイメージを軌道修正し、『うま味を料理に付与する調味料』という本質的な価値を的確に伝えるために生み出されたのが、現在、公的資料などにも使用されている“うま味調味料”という名称です」
世界初のうま味調味料を製品化した会社として、業界を牽引してきた味の素株式会社。その広報室は、中華料理店症候群が吹き荒れた1970年に設置されている。
「当社の広報室は科学や料理などの専門家とコミュニケーションを取り、ファクトとエビデンスに基づいた正しい発信を行なっていくことを目的に創設されました。一般の企業の広報室は自社製品の魅力をポジティブにPRするのが主目的だと思いますが、当社の広報室は、当時としては他に類を見ない形ではないかと。現在も粛々とリスクコミュニケーションを積み重ねています」
一部の“アンチ『味の素』”とでも言うべき層によるネガティブキャンペーンは、今もSNSでしばしば起こる。しかし味の素株式会社の広報はよほどの悪質でない限り、「あえて反論はしない」という冷静な姿勢を貫いている。
「私たちは『味の素』に自信と誇りを持っています。それでも食の価値観が多様化している今、『うま味調味料は絶対に使わない』という層の行動変容を起こすのは非常に難しいと思いますし、ムキになって押し付けてもバックラッシュを招きかねません。むしろこれからは、『味の素』に対するイメージがネガでもポジでもない、いわばニュートラルな層に正しい価値と魅力を伝え、ご自身で選択していただくことが大切だと考えています」
直近の調査では、2019年に17%ほどあった『味の素』に対するネガティブなイメージは、2024年には12%にまで減少していることがわかったという。この12%の層がいかに根拠なき難癖をつけようとも、同社の広報は揺らがない。116年の歴史は半端ではないのだ。
(文:児玉澄子)