【震災・原発事故10年ルポ】津波で街並み一変 南相馬市 復興へ工業団地整備

2021/02/24 16:08

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津波で被災した南相馬市原町区のヨッシーランド。利用者、職員合わせて37人が犠牲になった=2011年3月11日(佐藤庄太撮影)
津波で被災した南相馬市原町区のヨッシーランド。利用者、職員合わせて37人が犠牲になった=2011年3月11日(佐藤庄太撮影)
南相馬市原町区の津波被災地に整備された復興工業団地。進出企業による建設工事が始まっていた=2021年2月
南相馬市原町区の津波被災地に整備された復興工業団地。進出企業による建設工事が始まっていた=2021年2月

■震災当時南相馬支社 佐藤庄太

 南相馬市の沿岸部で、幼子のような背丈のクロマツが潮風に揺られていた。東日本大震災後の新たな海岸防災林として二〇一二(平成二十四)年度から浜通りの沿岸部で整備が始まった。市内ではこれまでに防災林の計画面積約二百四ヘクタールのうち約百五十一ヘクタールまで進み、百万本以上が整然と並ぶ。二〇一八年六月には同市原町区雫を会場に第六十九回全国植樹祭が開催され、当時の天皇、皇后だった上皇ご夫妻も植樹された。

 高さ二十メートル超の防災林に育つまでには三十~五十年の年月が必要という。時間をかけて年輪を刻む樹木の成長は復興の歩みとも重なる。浜から吹き付ける風は、あの日の記憶を呼び覚ました。

   ◇  ◇

 二〇一一年三月十一日、会社で机に向かっていると、緊急地震速報が鳴り出すより前に、激しい揺れが襲ってきた。取材に飛び出し、原町区の六号国道を南下していると異変に気付いた。側道が冠水した後、水が東に向かって引いていった。誘われるように東に向かうと目を疑う光景が広がった。二キロほど先にある海がはっきりと見える。道路は泥で埋まっていた。津波が到来していたことをようやく理解した。

 南相馬署に赴き、避難で集まっていた市民と屋上から東を望むと、つい数時間前まであったはずの町並みが消えていた。誰かが発した言葉が全てを物語っていた。「沿岸部は壊滅した」

 同署東側に位置する上渋佐地区にあった介護老人保健施設「ヨッシーランド」が津波被害を受けたと知り、現場に向かった。施設は天井付近まで水に浸かった痕が残り、流された車があちらこちらに突き刺さっていた。泥に足を取られそうになりながら施設玄関を目指して進み、シャッターを切った。

 「もしここでまた津波が来たら死ぬ」。眼前に広がる大海原と自分との間には、がれき以外何もなかった。

   ◇  ◇

 かつてヨッシーランドがあった場所に足を運ぶと「復興工業団地」の真新しい看板が立っていた。復興工業団地内では既に進出を決めた企業の建設工事が進む。福島ロボットテストフィールドも整備され、二〇二〇(令和二)年三月に全面開所した。福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想の中核拠点で、ロボット関連産業の集積が期待される。

 復興工業団地のある北萱浜行政区長の田部安丸さん(64)は「立派な施設が完成しても復興は終わりではない。次代を担う若者を呼び込まなければ活力は取り戻せない」と指摘する。長い道のりの復興をさらに前進させるため人材の確保、育成がますます重要になる。(現本社報道部記者)(2021年2月24日付掲載)